大自然の猛威への、集落消滅への・・・特効薬はない。
富山・八尾町「おわら風の盆」中止でした。黙って静々と踊る盆踊りです。
踊り手も見物人もただじっと黙って見守る。口を開かないのだから飛沫も飛ばない。
風の神様に暴れないでと豊作を祈るだけです。なぜ中止になるのか?
人が集うってことが「密」だからダメなんでしょうねぇ。
いや風の盆だけではありません。
日本中の「風鎮祭」「風祭り」「風日待ち」「とおせんぼう」など
風を鎮める行事は全て「なし」です。これではコロナウイルスを鎮めても、
風の神様をおとなしくさせることはできますかねぇ。
今日は立春から数えて210日、農家の厄日です。
野の草木を風が吹き分け農作物に被害を与えるほど強い風が吹く・・・
台風の語源である・・「野分」です。
また、1923年・関東大震災が発生した日でもあり、防災の日です。
私の感覚では、自然災害が後を絶たない昨今です。
今日ほど、訳の分からない祝日を増やすのではなく、
全国民に防災の意識を持たせるべく防災対策の日として「休日」にし、
電気・ガス・水道などの社会インフラに感謝する日にしてはと思うのです。
台風や豪雨、地震、自然災害を防ぐ特効薬はありません。
自衛と意識です。万が一災害が発生したら、どのように対処するのか。
退路を確認する。緊急救命の連絡網を把握する。三日分の食料や水は備蓄するなど、
防災グッズを揃え、災害に備え、自衛するしか方法はありません。特効薬なしです。
現在、特効薬がないといえばコロナ禍ですが。
地方の人口流出に歯止めを掛ける特効薬もありません。
その結果、全国で3197の集落が消滅するだろうと朝日新聞は論じています。
そもそもですが。集落の定義はなんでしょうか。
総務省では決まった定義はないと申しますが、
地域住民同士が相互扶助して生活向上を図る地域のことで、村落も同義、
市町村も広義では集落だそうです。
まぁ。歩ける範囲で肩を寄せ合って生活している人たちってことでしょうか。
集落の若者が都会に憧れ出て行く。それに高齢者が亡くなり人口が減少する、
人が居なくなれば集落が崩壊するのは当たり前です。
それを何とか特効薬を見つけ歯止めを掛けようと政府は、
地方創生施策を次々を実施していますが、成果よりも崩壊のスピードが勝っています。
私は2つ申し上げたい。一つはそもそも、150年前(維新後)に集落の数はいくつあったのか。
そして、最高に多かったのはいつなのか。それを示す必要があります。
朝日がいたずらに3197の集落消滅の恐れありと煽ってみたところで、
何の意味もありません。人がそこに生きて暮らすのは、そこに住む必然性があるからです。
人の数が減ったからと、感傷的になっても仕方がありません。
必然性がないところへ、いくら手を打っても無駄ということです。
人口が減れば集落もなくなります。
もう一つは社会インフラを維持するだけの国力がなくなれば、集落は維持できません。
集落を集落たらしめるのは、そこに人が生きて暮らしていけるだけの
経済的価値が必要です。それがあれば、人は集い、集落は活況を呈するでしょう。
その価値を私は特効薬と申し上げたい。
また、長いブログになりました。
9月1日・大自然の脅威に人は抗うことはできません。神さまに祈るしかない。
だから、頭を垂れ、身を竦め寄り添って難が通り過ぎるのを待つ訓練の日です。
必然性がない集落に人がいなくなることを容認することを恐れてはなりません。
だって、いずれも特効薬などないのですから。
せめて人類の叡智で、コロナウイルスを駆逐する特効薬は欲しいものですが。Goto
コメント