菅首相はめざす社会像として「自助・共助・公助」を掲げました。
コロナ禍で瀕死の社会、今自助とはなんだ、公助じゃないかと、
お決まりの「批判のための批判」を繰り返す人たちの格好の批判ネタとなっています。
私が敬愛する98歳・今も執筆活動を続けておられる「瀬戸内寂聴」師は
「自助」についてこう述べています。
「立ち居振る舞いもお行儀良く立派な首相面をして紳士に見える菅さん、
めざす社会像として自助・共助・公助を掲げ、聡明な女性たちから、
コテンパンにやられてしまった」
朝日の耕論欄に女性たちの論が披瀝されている。
NPO法人代表理事は「公助の最高責任者が「まずは自助」とは何だ、怒りを覚える」と。
経済評論家女史は「自らの経験から自助をあげたのでしょ。だったら自助が発揮できる
環境づくりに勤しむべき」と手厳しい。
98歳になった私は人生を振りかえると、いつでも「自助」に夢中だった。
それを苦痛だと思ったことはなかった。文句の言いようのない家庭と、幼い子供を捨てて、
もっと自分の才能を活かす生活がしたいなどと、不埒な夢に憧れ、家庭を飛び出した時、
日頃私に甘かった両親、てっきり味方してくれると思ったが・・・
「子どもを捨て勝手な生き方を選ぶお前は今日から人非人になった。扶けるつもり
などない」と縁切りになった。慌てても後の祭り、引き返しもならず、
厳寒の2月・着の身着のまま、オーバーも財布も夫に取り上げられ、線路づたいに
歩きだした」思えば私の「自助」の生き方の第一歩であった。
それ以来、数人の友人の情けに扶けられ「自助」そのものの生活を通してきた。
思いがけない屈辱や反感や避難の矢面に立たされたことも数えきれなかったが
歯を食い縛って「自助」をつらぬいてきた。その長い歳月、国家や政府から
「公助」を受けた覚えはない。
98歳の今もまだ徹夜で原稿を書かせてもらえる「自助」の生活を続けている。
「公助」は今もあてにしてはいない。たぶん、このまま近い将来、
「ああ、面白い一生だった」と死ぬのである・・・と寂聴師は淡々と語る。
「自助」を批判する人たちの大半は、社会的弱者は「公助」がなければ生きられない。
弱者を切り捨てる言葉が「自助」だと・・・言うのでしょう。
菅首相の「自助」が「自助」だけならそうかも知れないが、
寂聴師も仰られる、知り合いで助けあう「共助」があり、セーフティネットの
「公助」がある「社会像」ってどこに問題があるのか・・・私にもわからない。Goto
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