芸術の秋

AIが描いた絵画が米国「デジタルアート部門」で優勝です。
私は音痴です。度々書いています。そんなことは百も承知だと言われますが・・
音痴ってことは音楽的センスがないってことです。ですから音楽はからっきしダメ。
実は・・ここで使う話ではないのですが・・実は「本当の話」(被ってます)ですが、
私は音楽だけではなく芸術全般に音痴なのです。
今更、実は・・なんて改まらなくても、お前のセンスなんてそもそもがそんなもんだと、
お見通しですが。最近特にそう思うのです。
そもそも芸術とは何か・・・ちょっと考えてみます。
芸術とは・・・予め定まった特定の目的に囚われることなく、技術的な困難を克服し
常に現状を乗り越えて行こうとする精神のチャレンジに根ざし、美的コミュニケーションを
指向する活動です。難しいですね。私の生き方に合致してる気もしないではないですが。
この活動は作品に結晶して、コミュニケーションの媒体となり、そのコミュニケーションは、
作品を包越性として、伸びという充実相において現実化する体験となるのが芸術。
これが芸術の概念ですが・・この概念自体が理解できないほど・・私は芸術音痴です。
具体的には文学(これは読めばそれなりに理解できる)音楽(ダメ)造形美術(絵画・
彫刻・建設・デザイン感性なし)演劇(難しい)舞踊(大変だ)
映画・ドラマなどを芸術の諸分野と申します。
そんな芸術で・・・私にとって難解な絵画。その絵画を私だって容易に描ける時代がきました。
驚きませんか。米国の話ですが、絵画コンテストで1位になった作品は・・
ゲーム会社の経営者です。どんな絵を描きたいかイメージを言葉にして入力するだけで、
その注文に応じた画像を次々と生み出すAIが作品を誕生させました。その作品が優勝です。
私がこんな絵を描きたいとAIに話し掛ければ、・・ネット上に数十億枚ある様々な画像と、
その画像を説明する文書のペアを大量に読み込み、画像と言葉との対応関係を学習した
AIが私の思いを描いてくれるのです。ですから、私は絵画音痴ではなく、
一流の絵画作家になれます。凄い時代が訪れたものです。
となりますと、私は芸術音痴ではなく、画家ってことになります。
でもです。よく考えてみますと、どんな絵を描きたいかのイメージができるかどうかって
ことになります。イメージが湧かねばAIも困ります。そこには芸術的センスが必要になります。
ということは・・・やはり音痴では如何ともし難いってことになります。
それで諦めてはならじ・・・そこを何とかするのは・・・本物の作品を見て・・
イメージを膨らます・・・訓練が必要となります。
そうなのです。AIに私の今描きたい絵画のイメージを話すためにも・・・
いや、これからさらに進化するであろう芸術作品を作れるAIとコラボするためにも
芸術の秋を楽しまねばなりません・・・今・岐阜県美術館で、岐阜放送60周年記念行事で
岐阜出身の前田青邨の絵画展を開催しています。まずは・・・その鑑賞に。Goto

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