目の前の人間を信じられないで・・・何がエルピスか。
年末のことである。フジテレビ系列で放送されている連続ドラマ「エルピス」の
最終回を見損なった。テレビはニュースか報道番組しか見ない。
でも面白そうな番組はビデオを録って、時間を見つけて見ることにしている。
大概は・・初回を見て・・・それもオープニングを見て、首を傾げ、それで終わりだ。
でも、「エルピス」には興味が湧いた。だから真面目に見たのだが、ビデオの不都合なのか
私の操作ミスなのか・・・録画されなかった。残念に思っていたら・・・
「TVerで見れば良いじゃん」放送後一週間は無料で見れると教わった。
簡単な登録さえすれば、iPadで見ることができた。但し、ビデオのようにCMを
飛ばすこと(民放としては当然だが)はできなかったが、これもデジタル時代のテレビの
あり方なのかと・・・妙に納得した。
最近のテレビって、おとなしいと思いませんか。
権力に忖度しているのか。それとも所詮は免許事業、総務省に首根っこを抑えられているから
そもそもが自由なメディアではないってことなのか。でもいくらネットで何でも
見聞きできるとしても、テレビ報道の影響力は大きい。だからこそ、骨のある報道をして欲しい
ドラマ「エルピス」です。エルピスとは「希望」の意味。
好演した主演の長澤まさみが「報道が真実を伝えなくて何が報道か』と問うシーンは
「テレビの報道番組を告発しているのではないか」同時に「真実を伝える重み」に
耐えうることができないのが、テレビではないかと思えてくる。
もちろん、ドラマです。現実とは違うのでしょうが・・・「目の前にいる人間を信じられねば
希望など持ち得ない」と泣き顔で訴える主人公には、青臭くとも希望を感じます。
仄聞するところ、このドラマの企画は一度お蔵入りしたのだが、怖くて自己批判できない
プロデューサーが他局へ移籍したことで、日の目を見たらしい。
それでも、地元の東海テレビもそうだが、フジテレビ系列は、自虐的な番組をよく放送する
そのことを裏返せば、自虐的でなければ、歪んだ社会の構造を描けないジレンマがあるの
ではないか。そうであるとすれば、テレビが真実を伝えたい力が残っていることでは
ないだろうか。
正月・元旦からのニューイヤー駅伝に始まり、
ほぼ朝から午後まで放送される・・大学生が顔を歪めて走る箱根駅伝の姿・・・
私たちは彼らに何を期待してテレビをつけているのでしょうか・・・
目の前の人間を信じられる・・・その証明でしょうか。Goto
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