電報は廃止すべき・・・

ノスタルジーで継続するのは不合理極まりない。

私の部屋に今年3月、盟友からに頂いた電報「プレミアムローズ」が飾ってある。バラの花が入った額付き、高価なモノである。そこにはこう認めて頂いた・・・「お祝い・ブログ6千回達成おめでとう」「常に一歩先を見据え、歴史と実績を積み上げてきた精進に敬意を表す。今後も健康に留意し、頑張れと」

最初、電報?何事かと思ったのですが。ブログが6000回に達した心のこもった「祝い電報」だ。改めて友の顔を思い浮かべ、感謝。宝物として大切にしている。電報っていいですねぇ。

最近は緊急の連絡は携帯電話やSNSで済ませます。安価な代替サービスも登場、果たして電報サービスを存続する必要があるかどうか?時代の流れからすれば明らかに陳腐な伝達手段です。そもそもですが、電報は手紙より早い連絡手段として1870年にスタート。緊急連絡や冠婚葬祭の案内やメッセージを届ける際に使われてた。

電気通信事業法ではNTT東西とKDDIのみが行える事業と規定されています。
2社しか扱えないってことは既得権益ですが、逆に簡単には廃止することもできない縛りになります。

ですから、2社は総務省から電報のルールや料金設定についての許可を受けています。電報をやめる場合には廃止を申請し、総務相の許可がいることになります。NTTの社長がサービスを終了したいと言ってもすぐ撤退はできず、審議会など公的な場で議論を進める必要性があります。

電報は1963年のピーク時には9461万通の利用があったが、22年度は377万通。96%減です。現実として電報は、もう完全にその使命を失っているのです。

電報に国民がノスタルジーを感じても、それはそれですが・・・
誰が考えても、電報の制度を維持することに合理性はありません。
ここは政治が思い切って廃止の方向を示すべきであります。

電報だけではありません。紙の電話帳・電話番号を有料で案内する「104」のサービスとか(26年3月に廃止)この国には、もう使われなくなったサービスが他にも色々あります。そんなモノはさっさと整理して、新しいサービスの不備にコストを掛けるべきではないでしょうか。

03年には手紙など通信の配達を民間に認める「信書便法」が施行され、電報とほぼ変わらない類似サービスを始める企業が増えました。それも本家より安価で代替サービスを請け負ってくれます。電報がなくなっても何も変わらないのです。それでも電報サービス廃止の議論ができないのはなぜでしょうかねぇ。

まぁ・・・私は、ブログ連続6000回を祝ってもらう、電報が届いた時は
新鮮な驚きと喜びがありましたが・・・Goto

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