端午の節句

「子ども日」です。本気で子どもたちを祝っているのか。ぼやく。

今日は「子ども日」です。
子どもは国の宝。子どもの健やかな成長がこの国の未来を築きます。
そう思うと、今の教育制度ってこれで良いのかと考え込みませんか?

まずです。コロナ禍で学校が長期休校になった折、国を憂う教育者たちから
この際だ。新学期を4月から欧米に倣って10月に変更してはどうか。そんな声が上がりました。なぜか日本から留学する学生が極端に減少。その大きなリスクに半年間の学年ズレがあるからです。

他にも激寒の2月にセンター試験をやるよりは、気候の良い季節に・・・などと、真剣な議論がなされました。
しかし、何も変わらない。変えられないで尻すぼみに。

地方での出生率。目を覆うばかりです。これまでの校区単位では維持できない状況に陥っています。誰が考えても統廃合せねば小中学校をこのまま維持することはできません。だとすれば、遠方の学校へ通うためのスクールバスではないですか。少なくとも欧米ではそうなっています。そんなことなど誰も考えない。

まだあります。教員の成り手が極端に減少。
学校そのものを維持することが難しくなっています。
だったらどうすのか。教える人を雑務を切り離すことです。
それだとて、部活は地域でといわれて何年になりますか。
いまだにちゃんとした方針が出されない。

それどころか働き方改革の悪の権化が教職をブラックだと
メディアが煽り続ける。まるで、教育崩壊を推進しているようです。

まだあります。親です。ラジオ体操ができるこどもはほとんどいなくなりました。だって、ラジオ体操は夏休みの定番。眠い目を擦りながら、6時半から
体を動かすから覚えるのです。その夏休みのラジオ体操だって、地方で1週間だけ。都会では、共働きしているのだ。6時半までに子どもを会場に送り出すことなどできないと、親が反対。

それって「やらない」親の都合です。ご都合主義で子ども教育ができますか。
政治もそうです。教育は国家百年の計。健全な教育は政策のいの一番などと、
掲げるだけでどの政治家も本気になっていない。その証拠が年間50人以上が親の虐待による児童・幼児の虐殺です。189番を全国民に周知徹底すればそれが抑止力となって、亡くなる命が救われるのです。政治が真剣にならない。

異次元の少子化対策と称して、予算は計上するのですが。
少子化は止まらない。70万人を割るのは時間の問題です。
いま・生きている子どもを守れない国が、国民に子どもを増やせなどと
言えますか。政治もあかん。

ぼやいていても仕方がないのですが・・・・
子ども日です。5月5日・祝日「子どもの日」の意味を今一度、
真剣に考えてみようではありませんか。

そもそも5月5日は「端午の節句」。男の子の健やかな成長や幸せを願いお祝いをする日。江戸時代、世継ぎを祝う武士の行事でした。幟旗を立てるのも戦勝祝い、鯉のぼりも男の子への希望でした。

戦後・1948年。「子どもの人格を重んじ、子どもの幸福をはかるとともに
母に感謝する」休日と規定され、端午の節句が子ども日になりました。
なぜ、母に感謝するのか?当時、婦人の日を設けるべき、そんな議論があって、
じゃあ・・子ども日に母に感謝も加えようってことに。それで母に感謝が。

それと、「子どもの人格を重んじ」などというが。
どこにそんな風潮が残っているのか。そもそも「子どもについて」真剣に考えねばならないという発想で「子どもの日」が制定されたのではない。
だから、政治が子どもに敬意を払うこともなければ、天皇陛下が語りかけることもない。

あれするな。これやるなの規制ばかり。一方では極端、
放任主義が良い。自由にさせろと、躾はしないし満足に育てもしない。
何が「子どもの日」だとこれまたぼやくのだが・・・

子どもは国の宝だ。その自覚だけは持とうではないか。Goto

コメント