日本中、1万箇所に広がった責任は政治ではないのか。
日本は「飽食の時代」だと言われます。年間数千万トンの食品ロスが出ているのに、全国にはすでに1万箇所を超える子ども食堂が存在します。何千万人ものお腹を満たせるはずの食べものが捨てられる一方で、食べられない子どもたちのために食堂が必要とされる。
この矛盾の大きさに、私たちはもっと目を向けるべきです。
どこかに大きな歪みがあるから、こんな状況になっているのです。
13年前、最初に「子ども食堂」を始めた方がいます。
きっかけは、子どもひとりでも入りやすく、食を通じて地域につながりが生まれればいい、そんな小さな思いでした。ところがその活動は驚くスピードで全国に広がり、寄付や支援も集まりました。
しかし彼女は問いかけます。「数が増えることは本当にいいことなのか」と。
確かに子ども食堂に救われる子どもや親はいます。
けれど、子ども食堂に問題解決を担わせるのは間違いです。マスメディアに持ち上げられ、「貧困対策」から「居場所づくり」「地域のプラットフォーム」へ、今では「みんなの食堂」にまで広がりました。意義を超えて一人歩きしているのです。
本当に大事なのは「子ども食堂」そのものではありません。子どもが健全に育ち、親が安心して子育てできる社会をつくることです。しかし現実には、数や利用者の増加ばかりが成果のように語られ、なぜ貧困や孤立が生まれるのか、どう防ぐのかという根本の議論は置き去りにされています。
コロナで子どもの居場所がなくなった、夏休みに給食がなく痩せてしまった──そんな現象を「新発見」のように騒ぎ立て、また子ども食堂への応援にすり替える。これでは何も解決しません。
彼女は語ります。「夜中や休日に“死にたい”と連絡が来る。行政では対応できない人も私たちが受け止める。ボランティアの域をとっくに超えている」と。もし社会が変わらなければ、今支えている子どもたちも同じ苦しみを背負うことになると。だからこそ、政治家や行政は現実から目をそらさず、自分の目で向き合うべきだと訴えています。
「私が子ども食堂を始めて13年。社会は少しでも良くなったのか?子どもの自殺や不登校はむしろ増えている」と彼女は憤ります。子ども食堂を応援することで課題解決に取り組んでいるふりをする政治家。その欺瞞に怒りが収まらないのです。
私は彼女の言葉に強く共感します。
子ども食堂を隠れ蓑にして、本当に大事な問題から逃げる。これこそが今の日本政治の実体ではないか。いま自民党の総裁選が行われていますが、この怒りを正面から受け止められる候補者は果たしているのでしょうか。 Goto
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