国家資本主義という現実から目を逸らすな。
「国家資本主義」とは何か。
ひと言で言えば、国家が資本の担い手となり、市場に積極的に介入する資本主義である。市場原理を否定するわけではない。しかし、国家が「投資家」「調整者」「時に経営に口を出す存在」として前面に立つ点に特徴がある。
最も分かりやすいのが中国だ。
中国は国有企業や重点産業に巨額の補助金を投入し、価格と供給を戦略的に支配する。この構造が続く限り、リカード的な比較優位に基づく「完全で自由な貿易」は成立しない。自由貿易は、純粋であるほど公正になる――その前提自体が、すでに幻想なのである。
では米国はどうか。
トランプ政権は、中国に供給と価格を握られかねない鉱物資源をはじめ、医薬品、造船など八分野において、政府出資の可能性をちらつかせている。国家が資本を増やし、中国と対峙する。これは反資本主義ではない。むしろ国家が前面に立つことで資本主義を守ろうとする行為だ。
トランプ流は三つの顔を持つ。
第一に、出資を通じて企業の経営判断に影響を与える「モノ言う株主」。第二に、企業買収や合併に介入する「仲介者」。第三に、関税を通じて収益を得る「利潤追求者」。これらが絡み合い、「米国型国家資本主義」という特異な形をつくり出し始めている。
もっとも、政府介入自体は目新しくない。2008年、リーマンショック後のオバマ政権は金融・自動車大手を公的資金で救済した。目的は危機の封じ込めだったが、「政府が勝者と敗者を選ぶのか」と激しい批判も浴びた。官民癒着やイノベーション阻害への懸念である。私は長らく、これこそが資本主義的な健全な疑念だと思ってきた。
ところが今、共和党の上院議員が「社会主義への一歩だ」と批判する一方で、急進左派のサンダース上院議員は国家出資を評価する。従来の資本主義・社会主義という物差しでは、もはや説明できない。
冷静に見れば、国家が企業を強く支配する習近平体制の中国と、国家が前面に立ち始めたトランプ流アメリカは、形は違えど同じ地平に立っている。世界の主要国は、国家資本主義へと収斂していく可能性が高い。
翻って日本はどうか。
どうやら政府自身が、この変化をまだ咀嚼しきれていない。もしそうなら、日本だけが古典的資本主義にしがみつく国になる。まるで生きた化石、シーラカンスだ。国家資本主義が善か悪か――そんな神学論を繰り返している余裕はない。
政治家も官僚も、固定概念を捨て去り、国家がどう資本と向き合うかを現実的に設計しなければ、国は衰退する。
私が古いのだろうか。
だが、世界が変わるとき、概念を守る者から脱落する。中国と米国の「新しい資本主義」を冷静に見据え、批判し、学び、先を読む。それが、いま日本に最も欠けている国家戦略ではないのか。Goto


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