ドンロー主義

力による秩序を、誰が笑えるのか

米国のドナルド・トランプ大統領が、南米ベネズエラの首都カラカスで軍事作戦を実行し、ニコラス・マドゥロ大統領を拘束、米国へ連行した――。

そうした衝撃的な報道が世界を駆け巡った。
数か月にわたる準備、情報機関と軍の連携、作戦命令から5時間足らずで完遂された拘束劇。投入されたのは米陸軍の精鋭、デルタフォース。かつてシリアで、アブ・バクル・アル=バグダディを急襲した部隊と同じだという。

日本のメディアは一斉に非難する。
「他国の首都で軍事作戦を行い、国家元首を拘束するなど前代未聞の暴挙だ」「法の秩序を破壊する行為だ」と。当然だが・・・

だが、私は思う。
その批判は、果たしてどこまで当事者意識を伴っているのか、と。
トランプ大統領にとって、マドゥロ氏は「国家元首」などではない。

米国に麻薬を流し込み、犯罪組織を統括する“容疑者”にすぎない、という認識だろう。犯罪者を拘束して何が悪いのか。それがトランプ現政権、彼らの論理であり、米国という国家の論理でもある。それをドンロー主義と言うのであろう。

米国は、法を掲げる国であると同時に、力を背景に法を行使する国だ。
FBIが世界中で活動できる権限を、国家として平然と与えている国でもある。

ロシアがウクライナを侵略しても、米国民に直接の危害が及ばなければ最高権力者は拘束しない。中国が台湾海峡で何をしようと、黙認の時間は続く。北朝鮮もそうだ。だが一線を越え、米国民に無差別の危害を加えた瞬間、話は変わる。

その時は、問答無用だ。今回のベネズエラの件は、反米諸国に向けた明確なメッセージだろう。「米国に刃を向けるなら、覚悟しろ」そう言葉ではなく、現実の軍事力で示したのだ。

翻って日本はどうか。いまの日本は、率直に言って“赤子”のような存在だ。スパイ天国、重要施設は無防備、国家機密は筒抜け。その気になれば、拉致も暗殺も不可能ではない――そう見られていても不思議ではない。

だからこそ問いたい。この米国と同盟を結ぶ日本は、何を前提に国の安全を語っているのか。地政学的に危うい位置にありながら、「法秩序」という美しい言葉だけで、現実から目を逸らしていないか。メディアが語る“もっともらしい正論”は、机上では整っている。

だが、国を守るのは論文ではない。
覚悟と現実認識だ。トランプ大統領が仕掛けたこの拘束劇。
私は、平和ボケした視点とはまったく違う角度から、頭を思い切り殴られた気がしている。日本人こそ、そろそろ目を覚まさねばならない。

――トランプ大統領を選んでいるのは、誰だ。
少なくとも我々日本人ではない。ここまでが、現実だ。Goto

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