嗚呼、自然よ、父よ、僕をこの寒気から守ることをせよ・・
日本列島、この冬、最大最強の冬将軍が襲来した。各地は大寒波に見舞われ、「大寒」という言葉に偽りはない。立春から数えて始まる二十四節気、その締めくくりが大寒であると思うと、寒さの底に立たされている実感が深まる。
凍てつく寒さは、同時に恵みももたらす。寒の水。古来、日本人はこの最も澄み切った水で、日本酒や味噌、醤油を仕込んできた。大寒の初侯は「蕗の薹華さく」。雪の下から顔を出すフキノトウの、あのほろ苦さと香り。葉が開く前に摘み、天ぷら、味噌和え、おひたしにする。初搾りの冷酒の肴として、これほどの一品はない。
二十一日の朝日新聞、天声人語が実に良かった。我が社では二十年来、このコラムの書写を奨励している。強制ではない。水際まで用意し、あとは自主性に任せる。広告の仕事は、生き馬の目を抜く世界だ。世相に疎ければ置いていかれる。斜に構えて読み解く眼がなければ、ピントは定まらない。その訓練として、天声人語ほど適した教材はないと考えている。
その日の天声人語、題を付けるなら「大寒」だろう。高村光太郎の詩「冬が来た」を引き、「きっぱりと冬が来た」と書き出す。大寒に入り、強い寒気が流れ込む季節感を織り込み、哲学者・和辻哲郎の寒さ論へとつなぐ。
湿潤な日本の冬は、人を萎縮させる暴圧的な寒さを持つ。一方、乾いた西欧の冬にはそれがない。中国東北部の零下三十度の寒さは、もはや寒いのではなく痛みだという。冷たいの語源は「爪痛し」。靴下を重ね、手袋をはめ、顔を覆い、背を屈め、ただ耐える。そして、天地の道は極まれば反ると信じ、春を待つ。
光太郎は祈る。「ああ自然よ、父よ、僕をこの寒気から守る事をせよ」で締める。近所の梅の木は、声もなく、しかし確実に膨らんでいる。寒風に耐える人々を、そっと包み込むような大寒の一篇であった。
私は暑い寒いを口にしない。気が逃げるからだ。大寒の底に立つ今こそ、
静かに耐え、春を迎える覚悟を整えたい。早朝のウォーキング・雪に足を取られぬように今朝もやる。家人の「小馬鹿にした」嫌な目を跳ね返し・・・
それにしてもである。
共通一次試験。今年は無事に終わったが、何十年、自然環境の良い時期にと言ってきたか?だが変わらない。悪行じゃないのだ。大寒に解散、総選挙が告示される。関係者はまるで苦行である。大自然に逆らうような施行は人間の奢り以外の何者でもない。Goto


コメント