原油危機から目を逸らすな。

停戦の報に安堵してはいけない。

政府が国民に覚悟を促すとき、最も恐れるものは何か。それは混乱か、不満か、あるいは支持率の低下か。しかし本質はそこではない。真に恐れるべきは、現実を語らぬことによって、国民の判断力と行動力を鈍らせてしまうことである。

我が国は原油の九割を中東に依存している。この事実は誰もが知る。だが、その供給が断たれたとき、我々の暮らしがどうなるかを、どこまで真剣に考えているだろうか。ガソリン代の高騰にとどまらない。電気、ガス、物流、食料、化学製品──あらゆる産業と生活の基盤が揺らぐ。すでにその兆しは現れている。静かに、しかし確実に物価は上昇し、社会全体が圧迫され始めている。

人は願いたい。中東の緊張はいずれ緩和され、ホルムズ海峡は再び開かれ、安定供給が戻ると。しかし、それは希望であって前提ではない。危機とは、「起こらないこと」を前提にする思考の中で、最も深刻な形で現れる。

備蓄があるではないか、との声もある。だがそれは非常時のための限られた猶予に過ぎない。時間は刻々と消費される。しかも、代替調達は高値を伴い、距離を伴い、さらなる負担を生む。すでに我々は、「安定供給」という前提の上に立つ社会から、静かに足を外されつつあるのである。

ここで問われるのは、国家の覚悟であり、国民の覚悟である。政府は正直に語るべきだ。現状はこうである。だからこうする。しかし即応はできない。ゆえに国民にお願いしたい、と。国民を信じて語ることである。日本人は、真実に対して逃げる民族ではない。むしろ、真実を共有したとき、最も強く、最も秩序だった行動をとる民族である。

我々にできることは明確だ。節約である。単なる倹約ではない。生活の構造を見直す覚悟を伴う節約である。湯水の如く使ってきた石油製品への依存を断ち、知恵を絞り、代替を生み出す。無駄を削ぎ、必要を見極める。この営みこそ、人間の成熟そのものではないか。

振り返れば、我が国は幾多の危機を乗り越えてきた。戦後の焼け野原からの復興、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本、能登──そのたびに、国民は秩序を失わず、助け合い、立ち上がった。困難の中でこそ、人間の真価が現れる。その連綿たる歴史が、我々の背骨を形づくっている。

春の来ない冬はない。朝の来ない夜はない。しかし、それはただ待てば訪れるものではない。耐え、工夫し、支え合い、乗り越えた者にのみ訪れるのである。

今回の危機は、単なる資源問題ではない。人間としての在り方を問う試練である。依存から自立へ、浪費から節度へ、無関心から連帯へ。その転換を成し遂げることができたとき、日本は石油に過度に頼らぬ、真に持続可能な社会へと歩み出すだろう。それは単なる経済の進化ではない。人間学的成熟を遂げた国家の姿である。

災いを転じて福となす。その言葉を、我々は幾度も現実のものとしてきた。今また、その時が来ている。恐れるべきは危機そのものではない。危機に対して、目を逸らし、語らず、動かぬことである。

ならば、覚悟を持とう。静かに、しかし確固として。日本人の底力を、いまこそ示すときである。停戦の報に安堵してはいけない。Goto

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