自転車の青切符に思う

子どもを前後に乗せて疾走するママチャリを規制するな。

「青切符」と聞けば、自動車を運転する者なら誰もが身構える。速度超過、一時停止違反、駐車違反。反則金を払い、点数を引かれる。交通秩序維持のためには必要な制度であることは理解できる。なぜなら、自動車は一歩間違えば、人命を奪う「走る凶器」だからだ。

ところが、その「青切符」が、今度は自転車にまで拡大された。政府は、自転車の交通違反に反則金を科す制度導入へと踏み込んだ。背景には事故の増加がある。スマホを見ながらの運転、信号無視、逆走、歩道暴走。自転車と歩行者の事故が社会問題化し、「何とかせねばならぬ」と警察庁が動いたのである。

そして4月の1カ月間、全国で実際に行われた取り締まり件数は2147件。東京501件、大阪267件、愛知257件、埼玉223件、京都158件、兵庫、千葉と大都市圏が続いた。一方で、秋田、山形、三重、徳島、長崎、熊本、沖縄の7県はゼロ件。さらに青森、山梨、滋賀、山口、高知、大分、宮崎の7県はわずか1件だった。

この数字、実に興味深い。
つまり、「自転車危険運転を厳しく取り締まらねばならぬ」と判断した県警は青切符を切り、「そこまで目くじらを立てる話か」と判断した県警は、指導や警告に留めたということである。実際、4月中に警察官が行った「指導・警告」は全国で13万5855件。現場の警察官は、自転車利用者を片っ端から罰したわけではない。地域事情を見ながら、適宜な判断を下したのである。私は、その現実的な対応にむしろ人間味を感じる。

そもそも、自転車とは何か。

人間の足そのものではないか。地方へ行けば行くほど、公共交通機関は次々に廃線となり、バス路線も減便される。ガソリン価格は高騰し、自動車維持費も重い。だから庶民は、自転車通勤、自転車通学へと知恵を絞る。ママチャリの前後に幼子を乗せ、必死にペダルを漕ぎ、保育園へ送り届け、そのまま職場へ向かう母親たち。その姿は、生きるための懸命な営みそのものだ。

そこへ、「はい反則金」「はい青切符」である。もちろん危険運転はいかん。酒酔い運転も、ながらスマホも、悪質な暴走も取り締まらねばならぬ。しかし、事故が起きた際には徹底的に重い責任を問えばよい話ではないのか。何でもかんでも先回りして規制し、罰則を作り、国民を管理する。その発想に、私はどうにも違和感を覚える。

事故は自己責任。自由とは責任を伴うものだ。本来、独立自尊とはそういう精神である。自ら考え、自ら判断し、自ら責任を負う。それが成熟した社会ではないのか。

ところが今の日本はどうだろう。ヘルメットを被れ。二人乗りは駄目。スマホは駄目。次は何だ。箸の上げ下げまで国が指導するのかと皮肉の一つも言いたくなる。規制、規制、また規制。気が付けば、国民は委縮し、「怒られないように生きる」ことばかり考えるようになる。

私は思う。国家とは、本来、国民を縛るために存在するのではない。国民が力強く生きるためにあるべきだ。ましてや、地方で暮らす人々から「足」まで奪ってどうする。

青切符をほとんど切らなかった14県の県警本部に、私はどこか人情を感じるのである。法律を杓子定規に振り回すのではなく、地域の暮らしを見つめ、人の営みを理解する。そんな温もりを、まだこの国は失っていないのだと信じたい。Goto

コメント