寒蝉(ひぐらし)鳴く

お盆――いま、ここにあることに感謝して

私のスマホ。YouTubeを開けば、なぜか阿波踊りが頻繁に登場する。

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」

威勢の良い二拍子。連を組み、一糸乱れず踊る姿は圧巻だ。見ているだけでウキウキする。浮世の憂さなど吹っ飛んでしまう。

徳島の阿波踊りが「動」なら、岐阜の「郡上おどり」はどこか「哀愁」の趣がある。

郡上おどりは、江戸時代、郡上八幡の城下で身分の隔てなく人々が一緒になって踊ったことから発展したとされる。藩主が領民の融和を願って奨励したとも伝わる。

誰でも輪に入り、見知らぬ者同士がひとつになる。哀愁を帯びた「かわさき」の節回し。夜の町に響く下駄の音。阿波踊りとはひと味違う、お盆ならではの風情である。

13日は盆の入り。七十二候では「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」の頃。

お盆は、中国伝来の仏事「盂蘭盆会」と、日本古来の祖先を敬う祖霊信仰が溶け合い、私たちの暮らしに根付いたという。

盆棚をしつらえ、季節の果物や野菜、菓子、盆花を供える。キュウリの馬には「早く帰ってきて下さい」。ナスの牛には「ゆっくりお帰り下さい」。提灯を灯し、迎え火を焚く。

夕暮れ。ひぐらしの「カナカナ」という声が聞こえてくる。そんな気がする。

14日は御先祖様と一緒に盆踊り。そして15日は送り火。灯籠を流し、御霊が迷わず帰れるよう祈る。さだまさしさんの「精霊流し」も、今年も聴かねばなるまい。終戦の日でもある。家族の祖先だけではない。戦火に倒れ、今日の日本の礎となった方々にも静かに頭を垂れたい。

何でも便利になった。面倒なことは省けばよい。そんな時代である。しかし、お盆まで「面倒だから」と省いてよいものだろうか。

人間は一人で生まれてきたのではない。父母がいて、その父母がいて、そのまた父母がいる。数え切れない命の連なり、その先端に「いま、ここ」を生きる自分がいる。

人間学で大切なのは、見えない恩を忘れないことではないか。「飲水不忘掘井人」――水を飲むとき、井戸を掘った人を忘れない。我が社の社是である。

今年のお盆は、少し丁寧にやってみようと思う。手を合わせるとは、亡き人を偲ぶだけではない。いただいた命を、今日一日どう生きるか。

御先祖様に問い掛けられながら、自分自身の生き方を見つめ直す。それがお盆という、日本人が大切に守ってきた四日間なのだと思う。Goto

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