内閣改造

「思惑」より政策。人選アンケートを重視、面白いじゃないか。

朝日新聞をはじめ一部の新聞は、早速、内閣改造を厳しく批判している。「数の力による強権的な国会運営につながる」「民主主義を支える軸が失われかねない」「次の総裁選をにらんだ対立候補外しだ」といった論調である。維新の閣内協力についても、その意見を聞き過ぎではないかと懸念を示す。

新聞が政権を監視し、権力の暴走を戒めるのは大切な使命である。異論を封じる政治であってはならない。その意味で、厳しい目を向けること自体を否定するつもりはない。

しかし、内閣改造を行った直後から、何もかもを「次の総裁選のため」「権力固めのため」と決めつけるのはいかがなものか。来年の総裁選がどうなるか、今の時点で誰にも分からない。政治は一寸先は闇である。一年半も先の政局だけを見通し、人事のすべてをそのための布石だと断じるのは、少々うがち過ぎではないか。新聞の暴走である。

私には今回の人事は、高市首相が自ら掲げた政策を実現するための布陣に見える。骨格を維持し、仕事を続けたいという閣僚には継続して力を発揮してもらう。一方で、新しい人材にも責任ある仕事を任せ、経験を積ませる。安定と刷新を両立させようとしたのではないか。

興味深いのは、議員に「何をやりたいのか」「本当に担う覚悟があるのか」を問うたというアンケートを重視した点である。派閥の順送りや当選回数だけで大臣を決める時代ではない。志と適性、そして仕事への覚悟を聞いて人を選ぶ。これは政治の人事として、むしろ健全な変化である。

細野豪志氏が、民主党政権時代に関わった原発・震災対応を、もう一度自らの責任で整理し、最後までやり切りたいと考えたのなら、その思いを買って任せることにも意味がある。過去の経験を、国のために生かす。それこそ人材登用であろう。

維新が閣外協力から閣内協力へ進むなら、その主張を政策に反映するのも当然である。連立を組みながら、相手の意見を聞くなという方が無理な話だ。維新への偏見が酷い。

人事には、必ず政治的な思惑もある。それは政治の現実である。しかし、報じる側は思惑探しに終始するのではなく、この内閣が何を実行し、国民の暮らしをどう良くしたかで評価すべきだ。

高市内閣に求められるのは、批判を恐れず、結果で信頼を得ることである。Goto

コメント