水清くして不魚住。
根が不精者なのか、つま先から頭の天辺まで身ぎれいな奴には閉口する。ズボラな性格なのか、几帳面な奴には息が詰まる。いい加減な性分なのか、教科書通りの奴には虫酸が走る。泥水ばかり飲んでるせいか、清流を泳ぐ奴には嫌みを感じる。(僻みかな?)
日本の産業で一番裾野が広いのは建築業。その建築業が瀕死の状況に追い込まれている。原因は申すまでもない。耐震強度偽装事件に端を発し、6月拙速に改正された「建築基準法」による。
7月5件、8月3件、9月4件、10月5件。この四ヶ月、人口10万規模の、ある市が下ろした確認申請の件数だ。例年の十分の1。審議の長期化で新築住宅の着工数が激減。10月建築業倒産は前年同月比25,8%増(東京商工リサーチ調べ)。手形決済が通例の業界では年末を持ち堪えれるかどうか?悲鳴が聞こえる。
日本は地震国。阪神淡路の震災、中越地震。建物崩壊による被害は、生活を一瞬で破壊する。悲しい現実だ。建築基準を厳格にして、被害を最小限に防ぐ。誰もが納得できる。しかし、角を矯めて牛を殺す。と言う。先の大戦末期、ある裁判官が闇犯罪に厳格に対処すべきと訴え、配給のみで生活、餓死した話を思い起こす。
しからば、問う。改正された、建築基準法は何度の震度まで、耐震可能なのか?それを越える地震がこの国を襲った場合の責任は誰が取るのか?更に、それ以前の基準で建設された建造物(すべての建物)はどうなるのか?どうするのか?そして、建築物は多様だ。画一的ではない。厳格な審査には、曖昧さはないのか。あるとすれば、その判断は誰が?どのように迅速に処理するのか?その受け皿が、行政に用意されているのか?
耐震偽装事件がマスコミによって大々的に報じられた。それが世論、それが正義と錯覚。その結果が地方経済の衰退だ。にわかづくりの法改正が齎す庶民の嘆きに、思いを馳せることのできない政治家や官僚の、似非、聖人君主ぶりに虫酸が走るのは、私ばかりではないだろう。
正しいことは、正しい。しかし、「水清くして不魚住」。コンプライアンスの強化で国民が、国外に逃げ出す国にならなければ良いが、と願う。
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