分相応

「力」を養うとは?
午前三時に目が覚めた。歳のせいか?と思いつつ、自分の「夢」は分相応か?などと考えをめぐらした。
我社の社内報「中広報」、この二月号で創刊から200回を数える。16年と6ヵ月になる。物事の評価は様々だが、社内外に自社の情報を月々発信することに、価値があると考えている。
「継続」は力と言うが、自ら課題を決め、途中であきらめず、コツコツやると、どこかに、何かが蓄積される。その蓄積が、「力」だと思う。
問題は、課題だ。最近、どこの会合に出席しても、最年長の場合が多い。来社頂く、お客様も若年者が殆どだ。歳が上だと、都合のいいことがある。ぶしつけに「何でも聞ける」
話が弾み、打ち解けてくると、「君の人生課題は何かね」と、問うてみる。そうすると、意外なことが分かる。大方の若い人は「明確な課題を持ち合わせていない」。口に出して言わないのかもしれないが。どうも、「ない」気がする。
課題とは、夢だ。夢がないのは、課題がない。課題がなと、継続がない。継続がないと、力がない。力がないと、迫力がない。迫力がないと「覇気」がない。
若い人には「覇気」がない。とは、言わない。しかし、「夢」を追い求めて、あきらめない人生は面白い、老化しないと思う。
200紙の社内報をくくりながら。自分の「夢」は何か?と問い直してみれば、それが、あまりにも「明確」。しかし、その「夢」は、分相応かと自問すれば、その枠を超えているかもしれない。
その夢を実現するには、「何処かに、何かを」蓄積する「力」を養わねばならない。それには、中広報の発行を続けるしかない。と考えは、巡る。
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