公表

教育委員会を応援します。
試験って、好きな人いませんよね。
私なんか、試験と聞きますと、逃げ出したくなるほど嫌で、ビビってしまいます。
小学校の6年生と中学3年生を対象とした全国学力調査の二回目が実施されました。
その結果の公表をめぐり、議論が湧き上がっています。
火付け役は、大阪の橋下知事。「試験をやったのだから、正解率を自主的に公表すべき」「市町村の教育委員会はなぜ拒否する」とボールを投げつけました。
「クソ教委」との表現に、品がないとは、思いますが理解できます。
試験の結果を発表しないのなら、何のための試験か?なんのための調査か?税金を使って実施するのだから、公表の義務はあるはずです。
文科省は、公表の是非を市町村の教委に判断を委ねているが。それはおかしい。
実施主体なんだから、責任を持つべきです。文科省が調査結果を公表すればよい。
そうはならないのが、官僚のずるさです。地教委の公表を渋る理由を聞きました。現場の序列化を招く。格差や差別を助長する恐れがある。学力だけが教育ではない。子供に不利益をもたらす。など。どう思いまか?
だったら、文科省に抵抗して、試験を受けなければ良い。
世の中に結果を公表しない試験などはありません。反対者の頭の構造がまったく理解できない。
子供は、試験の結果を知って落ち込むだろうか?結果を恐れているのは、子供ではなく、教委のメンバーや、教師ではないのか?と思えると、なんとも情けない話です。
学力調査は、最高裁で適法と認定されているのですから。地域社会に公表し。その結果を謙虚に受け止め、更なる努力を重ね、次年度により良い成果を上げるべきだと考えるのが、世の中の常識です。
常識が保身で歪められるようでは問題の本質が分らなくなりますね。
我社も四半期ごと決算を組み業績結果を発表しています。悪い点数ですと、なんとかしなくちゃと、知恵を絞り、努力を重ねます。試験とはそうゆうものです。
社会は試験の連続です。試験のない教師とは違い、子供は社会に出て、日々試験にさらされます。
そのことを思えば、全国学力調査の結果は、公表すべきだと思います。
県民あげて応援します。
我が岐阜県の市町村の教委も、ぜひ、公表して欲しいと願う次第です。
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