赤紙

慣らし運転抜きでは、事故を起こしませんか?
来年5月から裁判員制度が始まります。
日頃から日常とは違う独特の法解釈に苦しむ私としては、果たして、この制度、本当に大丈夫かな〜と疑問に思うところです。
3000人に一人の割で、裁判員要請が発送されたとのこと。黙秘を義務ずけられているのか?私の周りには該当者がいないようですが。この問題、自分とは関係ない。と見過ごす分けにも行きません。
さりとて、赤紙(裁判員の要請通知を平成の赤紙というそうです)が来た時の心の準備も必要。
今頃何を寝ぼけているのか?と、「非国民」のそしりを覚悟で、不安を述べてみたいと思います。
まず、なぜ赤紙と揶揄されるのか?この制度は重刑を裁くからです。人の生死に関わる刑を判断するから、戦場のようなものです。お前は「死刑」。などと、人を「殺す」度量が私にあるとは思えません。
それも、事実を認定して、責任能力の有無を判断するのは、プロでも難しいと聞きますのに。最近では刑事裁判の充実、迅速化を図るため、重大事件でも短期間に審理するそうです。ド素人が?ましてや、冤罪だったらと、思いますと、身震いします。
また、ドラマや映画の世界ですが、裁判ものの番組を観ますと、腕利きの弁護士の巧みな弁舌。それを見抜くなどとは、法律用語もままならない者がやれることではない、とても、とても無理です。
そんなことは、分りきっているのに、裁判員をやれと言うのは、赤紙一枚で有無を言わさず、戦場に駆り立てた徴兵制度と同じではないかと疑問に思うのですが。
と、考えるのは私ひとりでしょうか?閉鎖的な司法を国民参加で開かれた社会に変える試みを否定はしませんが、あまりにも無謀なチャレンジの気がします。
良いことなら欧米ナイズするのもいいでしょう。この裁判員制度に限って言えば、日本には日本の文化、伝統、風俗、習慣、自然といった、風土があります。その風土に沿って日本民族は生活してきました。その文化に染まった市井の国民に人を裁く、この制度が合致しているとはとても思えません。
どうしても導入すべき制度なら、重大事件を裁くのではなく、身近な犯罪を対象に慣らし運転しないと、この制度、すぐに破綻しそうな気がします。
軟弱な私としては、餅は餅屋に任せ、赤紙が来ないことを念じるのみです。
                              Goto
追伸
米国の陪審員は事実認定のみを行い。欧州では量刑判断に死刑がないそうです。
(資料、郷原信郎横浜大学教授)

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