夕刊

収縮経済への対応を考える。
かなり期待してます。
マスメディアの広告出稿の減収が止まりません。
テレビを御覧になってて、番組の途中に放送されるコマーシャル、番組の予告とか、案内がやたら多いのに気付きませんか?業界用語では番宣(番組宣伝)と言い、自社の放送番組とか事業内容を知らせる身内のコマーシャルです。
広告屋が言うのも、自虐的ですが、不況下におけるリストラ策で、企業が最初に削減するのが、広告宣伝費です。放送局がその影響をもろに被った結果が、CM枠への番宣増加です。
広告予算の削減は、放送局にとって死活問題です。これ以上削減されれば、番組制作費に手を付けねばなりません。そうなりますと、費用のかさむ、時代劇とかドキュメントとか、良質な番組が作れなくなります。
私には馴染がありませんが、「ひるドラ」の愛称で人気のCBC昼のドラマが38年の幕を閉じることになりました。これも予算削減がゆえです。
企業は不況風に煽られ、広告費を削減することの与える経済的影響を良く考えるべきです。企業は宣伝によって、商品を紹介し、需要を喚起するのですから、宣伝しなければ、需要はさらに落ち込み、景気は冷えるばかりです。
この状態を収縮経済というのですが、あまりにも、急激な収縮に、情報の最先端を行く、放送局が後手を踏んでいるのですが、これでは笑い話にもなりません。
マスメディアは、ここ一番。収縮経済に指を銜えているのではなく、現状をつぶさに見まわし、基本中の基本。良いものを提供する。つまり、コストを掛けてでも、番組の質を上げ、視聴率を上げる努力が必要だと思います。
放送局だけではありません。新聞広告の減収も目を覆うばかりです。おまけに、購読部数減にも歯止めがききません。新聞社には、蓄えと資産があるようで鷹揚に構えていますが、もう少し焦った方かいいのではないか、と心配です。
秋田の魁新聞。鹿児島の南日本新聞といった有力地方紙が相次いで夕刊を廃止しています。この流れがますます加速、不採算切り捨てで、ローカル新聞は夕刊廃止に雪崩を打つと予想されます。
国民のライフスタイルが変わって来ています。一日に二度。朝夕刊を宅配するビジネスモデルが通用しなくなったんでしょうが、新聞命の私としては、夕刊の廃止に、新聞凋落の現実を突き付けられるようで、寂しい思いです。
そんな折。日経新聞が、2月2日付から夕刊の紙面を「ニュースと生活を見やすく、読みやすく」をキーワードに刷新するとの社告を打ちました。日経の夕刊は18頁が基本で、必要に応じ24頁の日もあります。日経の性格上、世界のマーケット情報は、時差がありますから、夕刊情報の方が新鮮な場合があります。
その必然性が、夕刊紙面の刷新、充実に繋がったんだとは思いますが、全国的に夕刊廃止の傾向に抗う姿勢に、嬉しくなります。是非、夕刊革命を起こして欲しいと期待します。
景気の悪化は、広告費が著しく削減され、マスメディアの経営を圧迫し始めていますが、従来のビジネスモデルを縮小するのではなく、刷新、改革を含め、新しいビジネスモデルを構築して欲しいものです。
それが一朝一夕に出来ないなら、せめて、本道である「番組の向上、記事の内容充実」で、視聴者や読者を唸らせて欲しいものです。
日経新聞夕刊の刷新にエールを送ります。
                                     Goto

コメント