眼鏡

小さな社会貢献が大きな幸せを呼ぶ。
私は、小学校の5年生から眼鏡を掛けています。
なぜ、掛け始めたかと申しますと、50年前の話ですが、黒板に簡単な質問が書かれ、それに答える知能テストが行われた時。まったく回答ができませんでした。
どこかに異常があるのではないかと心配した担任の教師が、親に相談。幾つかの検査の結果、親父殿が極度の近眼。その遺伝で、黒板の字が読めなかったからだと、結論付けられ、それから、眼鏡を掛けるようになりました。
実際は、近眼と乱視が原因ではなく、半年以上にわたり法定伝染病の猩紅熱で休学していまして。そのために、授業に付いて行けず、自暴自棄状態になっていたのが真相です。
今でも、一年留年すべきだったのではと思っています。50年前のことをとやかく言っても専なきことですが。そのお蔭で、今も尚、眼鏡を掛ける面倒な生活を強いられています。
眼鏡生活を知らない人には理解できないでしょうが。眼鏡は身体の一部ですが、人工物。顔を洗うにも寝るにも外さなければなりませんし、スポーツをやるうえでは結構不便です。
一時、コンタクトをと思ったこともありましたが、結局は、眼鏡人生で通してしまいました。最近では、老眼が進み、掛けたり外したり、面倒この上ありません。遠近両用の眼鏡も随分進歩したと聞きます。近々に、それに買い替えたいと思っています。
で、今までに、何度眼鏡を変えたのだろう?と、辿ってみますと、近眼が進行する子供のころは頻繁に。青春時代は暴れてよく壊し、成人してからは、サングラスだ、フアッションだと取り換え、最近は老眼用と近眼用と、かれこれ30本以上になるのではと思います。
眼鏡って、取り換えても愛着があり、結構捨てられないもので、机の引き出しには、10本以上が仕舞われたままです。
昨日の朝刊、、庶民金融武富士。不要なメガネを発展途上国に届けますと、子供は学業に、大人は仕事の向上にと、大変喜ばれるとの広告が掲載されました。
「もったいない」の小さな運動が国際貢献に繋がるこの武富士のCSR。とても素晴らしい活動だと思います。わたしの机の中に眠っている眼鏡でも、途上国の子供に役に立つのかと思いますと、
眼鏡の効用に、感謝こそすれ、疎かにしてはいけないと、反省しています。
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