芥川賞もぼちぼち、耐用年数が切れたのではないでしょうか?
村上春樹氏の「ノルウエイの森」を読んで、彼の言う、弱者「卵」擁護論を考えてみたいと、2月20日付けのブログで述べました。その村上氏が、芥川賞に二度、ノミネートされ、受賞を逃したと聞いて、彼はひょとしたら、本物なのかも?と、思ったりしています。
文芸春秋3月号。第140回芥川賞、受賞作品「ポトスライムの舟」(津村記久子著)が全文掲載。
毎月、購読している都合上、読ませてもらいました。
何の感慨も湧かない平凡な内容に、「あっそう」って感じです。選考委員の一人石原慎太郎氏が選評で「私としてはこの作品の次の作品を見て評価を決めたいと思っていましたが、他の作品のあまりの酷さに、相対的に繰り上げての当選と言うことにした」との寸評にすべてが表現されているので・・・・・。
内容については、興味のある方は、ぜひ、文芸春秋をご購入の上、お読み頂ければと存じます。
現在の文学賞とは、そうゆうことか!!。と思いましたので。一言。
まず、芥川賞。選考委員9名。候補作品に妥当なものがなくとも、無理でも受賞を作品決めねばならない。なんとしても。
理由は、国民の活字離れ(私はそうは思わないんですが)が進む折、構造不況に悩む、出版業界の活性化のためには、芥川賞の看板で新人作家を発掘、話題をつくり。何とか本の売り上げを増やさねばならない。業界救済のため選考しているのです。
それは、それで、分かるのですが?選考委員の諸氏も辛いところなんでしょうね。
正直な石原さんは本音を語ってしまう。それも、賞を続けるなら、逆効果になる気がします。
この大不況下。如何なる企業でも、業績を伸ばすのはなかなか難しい時代ですが。
ここは一番。歯を食い縛って「本物」を世に送るしか道はないと思います。
多分、日本の名だたる企業は、厳格な原材料のチエック。完全無比なる製造過程。想像を絶する品質管理など、自他共に厳しい自己規制を設け、「本物」志向で、商品を提供し始めました。不況効果です。
ますます、その傾向は強くなると思います。私は、不況が齎す最大の利点は、世の中「本物」志向だけが生き残れる時代になったと、つくづく思います。
その良い例は、落ち込みが激しい流通業などは、この異常なまでの過当競争に生き残るには、「本物」しかない。と、生産業者、下請け業者への徹底的な締め付けを行っています。正しいと思います。
流通業を出版業と同じレベルで、論じるんは可笑しいと思われるかもしれませんが?
物が売れない時代。どのように生き残るのか、という、観点ではすべてが、同じだと思います。
出版業界、構造的な不況を脱するには、芥川賞などという、新人に取って最高峰の登竜門こそ、これは「本物」だと選考委員のすべてが認める作品を受賞作に選ぶべきです。
たとえ、その年に、芥川賞の受賞作品がなく。一時、業界に沈滞ムードが流れても。
選考委員に「選ばねばならない」との色眼鏡を掛けさせて、判断を迫るのは?
業界の衰退に拍車を掛けるものであって。国民を馬鹿にしているといわねばなりません。
しかし、それでもと、なれば。石原氏ほどの経歴の人物ならば「他に選ぶものがなかったから?選んだ」などと、作者に失礼なことを言わずに、選考委員の地位を放棄されては如何かと思います。
石原さんも、所詮は、業界のお先棒を担いでいるに過ぎないのでしょうか?
村上春樹氏を芥川賞に二度も選ばなかった往時の選考委員に敬意を表すべきなのか?
出版業界の不況に手を貸す、現選考委員に敬意を表すべきなのか?
市井のおっさんでは、判断が付きませんが、歴史の有る如何なる文学賞も、中身を無視して、しがらみや打算で継続されるとしたら、文芸春秋の創始者、菊池寛はなんと言うのでしょうか?
あっ。そうそう、友人が、「僕は村上春樹のノルウエイの森、20回は読みました。それをお貸ししますから」と。楽しみにしてます。ありがとう。 Goto
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