気合い

レスポンス主義の徹底を。
少し勘違いをしていた。広告業の役割や使命について徹底不足だったと。
広告と言う職業は、どこか。浮ついたイメージがある。そのイメージに惑わされていた気がする。
原因は、白紙の紙に印刷して、時間とともに価値を失う新聞広告やチラシ広告。とか、一瞬にして消え去る映像、音といった電波CMとか、評価の付けにくい内容(それをサービス業と規定しているのだが)
にあるのだが。
だから、レスポンス(広告効果)に対しても、計量しにくい。どこかに、適当で、との、いい加減さが、通用していた。それこそ、最大の無責任である。出稿した以上は、レスポンスに責任を持たねばならない。
つまり、レスポンスのない仕事をしても、安閑として、やり過ごせた。それが許された。
それでは、広告の使命や役割が果たせない。広告屋失格である。
広告を出稿すれば、確実にレスポンスがある。当たり前のことである。それが、当たり前ではなかった。大いに反省している。反省したからには、なぜ、怠ったのかを徹底検証しなければならない。
それには、まず、我社が、何のために存在するのか。つまり、広告業を通じて「地域社会へ貢献」するという、理念が、「絵に描いた餅」になってはいないか?を問い直さねばならない。
次に、私は、今期(この四月から)を、中広「第三の創業」と位置づけてスタートした。
にも拘らず、その意味がいまだに浸透していない。
広告効果(レスポンス)の無い仕事は、犯罪である。如何なる仕事も、浮ついたイメージに毒されることなく、スポンサーの満足に必ず応えることを、旨として、仕事に取り組む。すべてをゼロから出発する。
第三の創業とは、そういうことだ。
それが、徹底できないようでは、「地域社会への貢献」という、企業理念が果たされない。
それでは、この仕事を続ける価値がない。
顧客満足を第一義に、レスポンス主義を徹底する。
気合を入れ直し、妥協を許さず広告業に邁進したい。
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コメント

  1. リミスキー・コルサコフ より:

    レスポンス。難しいです。広告のアナログチック(こんな単語あるか?)なところがロマンでもあり、好きなんですが、時代はデジタルなのでしょうね。気合いはアナログですけど・・・。想いをはっきりさせることはデジタルでしょうね。反応をしっかり計測することが必要な時代なのですね。自分の考えていることも分からなくなりました。アナログ人間ではなくてアホ人間BSEでしょうか??