肉太と骨太

「貧すれば鈍す」で骨抜きは、寂しいですね。
私は、右足股関節の手術をしました。大腿骨に頭がセラミック、棒(骨)の部分がチタンの人工骨と骨頭が入っています。四年を経過しましたが、違和感も、支障もなく、現代医学の発達に感謝しています。
ただ、注意していますのは、大腿骨が崩れますと、人工骨を支えれなくなりますので、骨の強化に繋がる食べ物を摂取するよう心がけています。そのお蔭で、歩くことも、走ることも、ゴルフさえ楽しめます。
私が手術をと決めたのは、主治医の「このままでは寝たきりになりますよ」の一言でした。人は歩けなくなると二年で気力を失い。役に立たなくなるそうです。役立たずでは生きていても仕方がないと思い、手術しました。
こんな文章に出会いました。
「なぜ、人は歩くのか。多くの場合歩くのと生きるのは同義だ。歩くとはどこかに向かう過程だから人生に例えられる。人は歩きながら考えたり、祈ったり、涙したりする。目標に到達できるか分らない、途中経過の蓄積が人生なのだろうか。」
人間は歩くから人間なんです。人工骨で補完しても歩けるうちは、人生がある。
歩ければ、私も人間の端くれだということになります。
折角、歩けるようにしてもらったのですから、目標に向かってしっかり歩いて行きたいと思うこの頃です。
政府は01年から「骨太の方針」を毎年発表しています。
当初はこの国のかたちを変えるための「構造改革」を実施するのが方針の目的でした。
それが09年度方針では、まさに「貧すれば鈍す」。経済危機に慄き、国のかたちに関わる制度改革に踏み込んだ部分が姿を消し、国民にカネを配る骨ならぬ「肉太」政策が強調されています。
時と場合によっては、肉付きも必要ですが、骨太と言うからには、骨格を論じなければ、意味がありません。ぶよぶよ肉だけでは、とてもこの国の行く先に向かって歩くことはできません。
体力が落ちているのだから、まずは、肉太にするのも必要ですが、如何なる状況であろうとも、目標を定め、そこに向かって歩き続けるのが、「人ありて成す」国家と言うものだと思います。
09骨太方針」のどこかに、政府の矜持が残され、肉太のバラマキ以外に、骨を強くするエキスが散りばめられていることを願います。                           Goto

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