岐阜市制120周年・その2

中途半端な県都の原因は・・・・・。
私は岐阜市で産まれ、育まれ、生かされてきました。郷土を愛し、誇りに思っています。
市民が、この街を好きだと、公言できる故郷・岐阜市に、なればと、願っています。
この街に60年。市制120年ですから、歴史の半分を生き、それなりに見聞したことになります。人口42万余りの小さな市です。隅々とは申しませんが。この街の大概のことは知っています。
特に、政治や経済、行政については、何らかの係わりがあり、それなりの見解を持っています。街の歴史や風土もかじりましたのでそれなりに理解している積りです。また、散々悩ませられましたので(今でも)、この街の習慣や因習、人間性などについては、身を持って語ることができます。
そんな私が、現在の岐阜市を分析すれば、「岐阜県の県都でありながら、中途半端な街」になってしまった。と言わねばなりません。
商業都市を標榜しながら、主力産業(繊維)は衰退。観光事業を推進しながら、観光資源を活かせず。名古屋圏の衛星都市だと言いながら、生活環境の整備を怠り。産業整備を謳うが、振興策を取らず。
新しいものを創造する市民性は潰え、お互いの顔色を伺う疑心暗鬼が蔓延し。旧知の仲間だけで徒党を組み。批判はするが行動せず。指導者は我田引水しか考えず。まさしく中途半端な、焦点の定まらない市になっています。
その結果。産業は興らず。有能な人材は、街を離れ。残ったのは・・老人ばかり。活気も活力もなく。街は疲弊。閉塞感に包まれています。(これって、日本の地方都市の縮図そのものかも知れませんが)
その原因はどこにあるのでしょうか。
市は、120周年記念の式典で金崋山、長良川を始めとする風光明媚な自然を称え、県都として、政治、経済、文化の中心として栄えたと振り返り。「新たな出発となる今こそ、先人の技や知恵を見直すとともに、類をみない岐阜市らしさを創造していかなければならない」と呼びかけました。
主催者の岐阜市に中途半端な県都になっているとの認識を持て。とは酷な話ですが。原因はひとえに「人」にあると、思っています。それも行政マンも含め指導的な立場の「人」にあると。
指導者は我田引水しか考えず。と書きましたが。裏を返せば、指導的立場の人に「街を愛する」哲学が欠如しているのが原因だと思っています。この15年ほどの間に、特にそんなリーダーが増えました。
その結果、この街が好きだと公言して憚らない市民が少なくなってしまいました。
自分が、産まれて、育ち、生かされてきた街を愛せないのは、最も不幸なことです。
抽象的ですが、自分を大切にできない人は、周りを大切にできません。そんな人は郷土を愛することもありません。日本人全体に言えるのかも知れませんが、自分さえ良ければを、行動の原点にする人は、自分を大切にできない人です。
そんな人が増えたのが、この街を疲弊させ、中途半端な街にしてしまったと思っています。
市制120周年を祝うのも結構です。しかし、街は「人」で持つものです。
この街に住む「人」の現状を、冷静に分析して「明日の岐阜市のビジョン」を示す必要はないのか?と
記念式典の新聞記事を読んで思う次第です。
                                          Goto

コメント

  1. Goto より:

    コメントありがとうございます。
    すべては教育に起因するのでしょうが、では、誰がその改革の火の手を上げるのか。次世代に責任を持たねばならない立場の我々ではないかと思っています。私は私なりの覚悟を決めていますが。今後ともの変わらぬご指導願い。     Goto

  2. 匿名希望 より:

    本当にその通りですね。腐った指導者ばかりです。主要ポストは仲間内で独占し、都合の悪い人間は卑怯な手口で排除する。身内の不祥事は隠蔽し、現場責任者の虚偽の報告を問題にすることもない…。疑問を感じていても、自分が当事者になると同じような間違いを犯してしまう。権力の中枢にいる人間は、欲望のウィルスに感染してしまうものなのかもしれません。外野から文句を言うことは誰にでもできます。客観的な立場の人間が客観視できるのは当たり前のことですから。人間は立場に固執して自ら視野を狭めてしまうのでしょうか。真の名声を求めるなら倫理的に正しいことをするしかない、という当たり前のことがわからなくなってしまうようです。社会は「人」の集まりです。どんな設備投資をしても人が育たなくては意味がありません。指導者に必要な指導力には教育力が含まれるはずですが、人を生かせる指導者が果たしてどれくらいいるのでしょう。正直、この国は手遅れなのではないかと思わなくもありません。