目力(めじから)

久しぶりに、学生時代の友と飲みました。
「男子三日会わずんば刮目して対峙せよ」と言うが、人の顔は変わるものだと、久々に会った友人の顔がキリっと締まっていたのには、驚いた。
彼は、私と同年、還暦だが現役。不況風にもびくともせず事業を拡充させている。次々とリタイアする世代だが、彼の顔を見て、瞠目するほど何処が変わったのか?現役だから?事業が成功しているから?だろうが、そうでもない。
だいたい、若い女性ならいざ知らず、還暦過ぎたおっさんの顔など、まじまじと見ないものだが。懐かしさも交じり、まじまじと・・・・・・気が付いた。それは「目」なのだ。
人を威圧するような鋭い目ではない。かと言って慈愛を込めた優しい目でもない。勿論、昔から大きくてつぶらな瞳でもなかった。どちらかといえば、小さめだった。上手く表現できないが、目力があるんです。
一生懸命生きていることによって、生まれ出る「目力」じゃないかと。緊張感を持って生きているのと、いないのとの違いなのかも知れない。
そういえば、リタイアして、「やることがないんだよ」なんて、ぼやいてる奴は、目が腫れぼったい。目尻が弛緩している。のを思い出した。年を重ねるということは、全てが緩むことでもあり、それはそれで、良いのだが・・・・・・・。
緩んでまで、生きているのも、何となく。折角の人生。どの立場、どの位置に居ようとも、心の目も含めて、「目力」を失いたくないもだと、思いながら、ビジネスホテルの鏡を覗くと。
あ?嫌だ。飲み過ぎで腫れぼったい。よどんだ我が目を疑う。
いやいや。奴も今朝は、きっと目尻が弛緩、目力を失っているに違いない。
あれほど飲んだのだから。友はいいな?。 Goto

コメント

  1. ナガラ より:

    『活目』は『刮目』では…。目をこすってよく相手を見なさい、という意味ではなかったでしょうか。
    細かなことはともかく、後藤社長のおっしゃる通りですね。
    視力もなんとなく周りをぼんやり見ているため、落ちていくのが早まるように思います。
    毎日気持ちの切り換えをして、新鮮な気分で物事に取り組みたいものです。