論説は難しい。

新聞の見識とは・・・・・・・・・。
私の趣味は新聞です。新聞を隅から隅まで、ひっくり返して、読んだり、眺めたりすることです。
暇があれば、何時間でも、ペラペラめくり、切り取ったりして、ごそごそやってます。
新政権が発足して、一週間。たまたま、バタバタしてましたので、発足時の新聞をじっくり読んでいなかった。昨日、改めて、鳩山内閣発足関連の記事(切りぬいていたもの)に目を通しました。
その中で、「拝啓 鳩山由紀夫様」との書き出しで始まる読売新聞の新内閣誕生に寄せた、某氏の「宰相の言葉は重い」という一文が目にとまりました。
新内閣誕生、翌日の一面。各紙とも力が入っています。にも拘らず。天下の読売新聞の解説。内容はあまりにも偏っている気がしました。ためにする論説は如何なものかと思いました。
某氏のテレビでのコメント、何時も軽快な話しっぷりで、聞きやすいのですが。歴史が動いた新政権の論説にしては、ガードが甘い気がします。読売新聞全体の判断ではないでしょうが。
少なくとも、宰相の言葉の重みを、トルストイの「本当に言いたいことは声を低く語れ」と比喩しない方が良いかもしれません。トルストイの時代背景から考えて。
社会学者のマックス・ウェーバーの「政治とは情熱と判断力を駆使しながら、堅い板に力を込めてじわじわと穴をくり貫いていく作業である」を引用して、辛抱強さの必要を説かれていますが。
鳩山由紀夫氏の政治暦を見れば、彼が如何に辛抱強い男かが分かるはずです。
この言葉を引用するなら逆で、「貴方なら、ウェーバーの政治理論が良くわかっているはずだから、困難に臆せず、立ち向かえ」とエールを送るべきでしょう。
それに、「変節」批判を恐れるなとマニフェストの実現を否定しています。この点は、良く考えてみる必要があるのではないでしょうか。マニフェストをコロコロ変えれば、政治不信を増幅させてしまうのではないでしょうか。
政治公約は「絵に描いた餅」守っても、守らなくてもよい。その程度のもの。だったのは自民党政治であって、新政権にもそうすべきではとは、やはり,言い過ぎだと思うのですが。
マスコミの民主党批判の常套句は、小沢一郎批判です。
「小沢支配」「二重権力」は、自民党で言えば「派閥支配」ですし「党(族議員)と政府の二重権力」と同じことです。それを排除するシステムを作って、党と政府の一元化を進めているが、新政権ではないかと思います。ここは、じっくり新政権の仕組みを見守るべきではないでしょうか。
それが、今日の言論界、新聞界の見識と言うものではないでしょうか?
新聞命の私のささやかな、思いです。                   Goto

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