月の光

大自然は大きな財産・・・・。
「君、月を観たかね。月は太陽とは違う、得もいわれぬ情緒があるねー」[月の趣に改めて感じ入ってるよ」とは、米寿を過ぎて尚、意気軒昂。岐阜を代表する指導者に、久しぶりに謦咳の機会を得た折の弁。
3日は中秋の名月。中日新聞が、翌日の朝刊一面に幻想的な写真を掲載しましたが(写真参照)、この街に生まれ、この街に育ち、60年も暮らして山と城と月に出会っているのに・・何と幻想的なんでしょうねー。
私も今年は、大先輩に言われるまでもなく、この日を楽しみにしていました。なぜなら、久しぶりに「月を愛でながら」幼友達たちと一献傾けようと思っていたからです。叶いませんでしたが。
岐阜の街。濃尾平野の北端に位置して、街の中心を長良川が流れ、東には金崋山がデンと構え、その頂きには岐阜城が。まさに、大自然に抱かれた土地柄です。
最近、岐阜の街に元気がありません。(どこの地方も同じかも知れませんが)その原因の一つに、行政予算が無いと嘆く声が聞こえます。その結果、何もやらないで済まそうとしている気がします。
果たして、そうでしょうか?私はそうは思いません。
岐阜は、別段、お金をかけなくても、注意深く探せば、天然資源に溢れています。「山城に掛かる月」の景観も、まぎれもなく、この土地の大切な財産です。活かす発想と努力を惜しまなければ、いくらでもあります。
かの大先輩は、戦後一世を風靡した「商都岐阜」。その岐阜を支えた中小企業や商店を組織化。
岐阜人の気概と誇りを育んだ方です。勿論、今もその一線に立っておられますが。
時代は移り変わります。資本を掛け、まったく新しいものを、創造する時代ではなさそうです。
縮む経済、同業者や団体を組織化して、圧力を加える時代でもありません。
大自然に君臨して、万物を支配する強烈な太陽。その太陽には及びも付かないが、一隅を照らすかのような静かな「月の光」。その存在に思いを馳せるのも、この時代には相応しいのかも知れない。
中秋の名月。「月の趣に改めて、感じ入っているよ」と語られ大先輩のことばに・・・・。
旧友と月を愛でながら、酒酌み交わすことができなかったのが残念だったと、雨空を見上げてます。
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10/4中日新聞                   

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