福ハ内

銘菓に京都の奥深さを堪能させていただきました。
JLAA(地域広告会社協会)の生みの親で、初代理事長、現在は最高顧問で指導頂き、公私ともに薫陶を受け、最も尊敬する業界の大先輩から、京都の老舗・鶴屋吉信の銘菓を頂きました。
「この季節。この業界事情。頑張らなあかんでぇー」との、励ましとお心遣いです。
菓名は縁起の良い「福ハ内」。お気持ちに痛いほど感謝して頂きました。ありがとうございます。
さすがに京都、味が違います。グルメでも食通でもありません。味も分からぬ田舎者ですが・・・
「もっちりとして・・・・上品な甘みで・・・・」こんな表現では申し訳ない程の深みある美味しさです。
皆さんにも味わって欲しいのですが、叶いませんので、「福ハ内」の由来を、詩織からお伝えして、京都の奥深さを紹介し、美味しさのお裾分けをします。
「福ハ内」は、鶴屋の4代目当主が節分の日、五条で官女姿の幼い京娘が、お多福のお面をつけて「福は内 鬼は外・・・・」と片手に大きな枡を抱えて豆をまく光景を目にして・・・・・。
明治37年、日露戦争開戦の年に誕生・・・・。
それ以来、杉の枡に収められた「福ハ内」は、立春を祝う新年菓、節分菓として枡枡繁盛の縁起も喜ばれ、京で人気を博し、きわめて長い歴史を数え、京娘の柔肌にも似た桃山製のお多福豆が盛られた逸品です。
その味を文人画家83歳の「富岡鉄斎」は、「このうまさ  大多福豆を めしたまへ よはひをますは  受合申す。」と賛を付しました。
凄いですね。一つのお菓子に、季節が織り込まれ、商売繁盛、家内安全の祈願まで込められ、それを、京の町屋衆が、買い求めつつ育み京文化として成熟させる。
広告の業界なんてものは、まだまだ、底の浅い業界。縁あって、この仕事に拘るモノとしては、変遷を繰り返しながら、社会の「福ハ内」のために研鑽を積まねばと、気持ちを新たに、銘菓を堪能させてもらいました。
それにしても、京都の奥は深いですね・・・・・。                 Goto
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