刹那

鶴岡八幡宮の巨樹、倒壊に思う・・・・・。
人には様々な趣味があります。仕事以外には趣味のない田舎のおっさんに、あえてと聞かれれば、ゴルフかなー。と答えるしかないのですが。あえて、それ以外に・・・・・と聞かれれば・・・・・。
うーんと、唸るのですが。こんな趣味を持ちたい。楽しみたいで良ければ、大きな木の下で、爽やかな風を受けながら、好きな本を読む。本に飽きたら、幹に持たれ、うつらうつら・・・・。
そんな、ことができる場所で日長のんびりと過ごせればと・・・・趣味でも何でもないですね。
あえてと、言われれば、そんな時間を趣味にしたいと、思います。
なぜ、そんな趣味を持ちたいかと。昔です。随分昔です。40年以上前、学生時代の夏休み話です。飛騨高山を訪ねた折。お寺の境内に大きな木を見つけ、その下で、一休みした・・・。その時の心地よさが忘れられないからです。
それが、講じてでしょうか。10年ほど前までは、連休を利用して、オアフ島まで出掛け、大きな木の下でビールを飲んで、本を枕にうたたねを楽しんだモノです。
私は、大きな木には神が宿っていて、人の心を優しく包んでくれるから、気分が良くなるのではと信じています。我が故郷・岐阜県は木の国、山の国だから、木に囲まれて育ったせいもあるんでしょうが。
読売新聞の一面右下の「編集手帳」。政治的なスタンスは、民主党に対して、ためにする批判を繰り返していますので、貧相で、非建設的な内容ばかりで、頂けませんが・・・。
文化的な内容や情緒的テーマには、さすがだなーと、唸る記事が多いです。11日の鎌倉の鶴岡八幡宮の樹齢1000年と言われる大イチョウ倒壊にまつわる一文には、思わず首肯しました。
鎌倉幕府の三代将軍・源実朝は、この大イチョウの陰に隠れていた刺客の手に掛り倒れた。その歴史の一コマもつぶさに見ていたであろうイチョウ。神社を訪れる人々の心に、その威容は、万感の思いを抱かせたハズ。それゆえに、神木として崇められていたのかもしれません。
「樹木にも記憶と言うモノがあるならば、倒れゆく刹那、樹肌をよぎる感慨もあったろう」と記事は結ばれています。森羅万象、生きとし生けるものは、すべて朽ち果てるモノ・・・巨樹の倒壊に多くは語るまい。
しかし。あえて言うならば。このところ台湾リスが住み着いていたと言うではないですか。神社は、樹医に相談するなどの手立ては、なかったか・・・・・・今となってはせんなきことですが。
倒壊の報を知り、無趣味の私が、あえて、木の精に抱かれるのが趣味だと言わしめる巨樹が、高山国分寺の大イチョウだったと思い出した時・・・・。鎌倉の大イチョウがどれだけ多くの人の心を癒してきたかと思うと、妙に刹那を覚えます。
我社の発行する飛騨高山の生活情報誌「さるぼぼ倶楽部」(53000部・飛騨一円各戸配布)の会議に出席する折には、国分寺の大イチョウを訪ねてみたい。                Goto
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当社発行「さるぼぼ倶楽部3月号」

コメント

  1. Goto より:

    レモンとは、お洒落な名前の犬ですね。大自然の前に額ずく謙虚さを忘れたくないものだと思っています。           Goto

  2. レモンハート より:

    いつもの通り道、我が家の愛犬レモンと神社に散歩。生活に根づい場所、心が浄化される時間です。この地域に住んでいる方たちにとってカタルシスの場所がひとつ失うことはとっても悲しいこと。このブログを見て、いつもの神社で、愛犬といつもより長い時間、春を感じていたいと思います。