朝刊の新紙面、コンテンツに期待します。
新聞を読もう。このブログのテーマです。新聞のビジネスモデルは購読料と広告収入で、新鮮な時事を整理してペーパーに落とし込み、購読者の家庭に朝夕二度宅配するものです。
そのビジネスモデルが壊れつつあります。東北の名門・岩手日報が、6月30日で夕刊を廃止すると発表しました。理由は景気低迷による広告収入減により、発行部数が落ち込み、販売、配送、配達コスト削減が迫られたから・・・・。
インターネットや携帯電話の普及で、県民の情報生活の変化が起こり、メディアを取り巻く情況が著しく激変したからだと社告で述べています。また一つ、夕刊が消えるかと思うと、淋しい思いです。
しかし、景気低迷とIT社会が廃刊の理由だと本気で考えているとするならば、早晩、朝刊も廃刊の憂き目にあうでしょう。ましてや、広告収入の減少が発行部数の落ち込みに繋がったなどと分析していては、本末転倒といわねばなりません。
発行部数が落ち込むから、媒体価値がなくなり、広告出稿が減るのです。広告の何たるかを理解せずに、悪戯に編集の補完として、広告を捉えてきた新聞社の体質を露呈したまでです。広告収入の減少は止まらないでしょう。
また、ネット社会が、情報収集手段に変化をもたらしたとの理由は、今更ながらに、安易な分析です。そんなことは、10年も前から分かっていたはずです。世の中に対しては、御尤もな御託を並べるクセに、自分の事となると、まったく理解していなかったことになります。
コンテンツの質を変えなければ、便利な媒体が登場すればその使命は終えんを迎えます。半日遅れの記事をさもしたり顔で掲載しているだけでは、時代の趨勢にマッチしないのは当然です。
私が新聞を読もうと、呼びかけている相手は、いままで新聞を読んだことのない人たちに対してです。新聞社は勘違いしていると思っています。ひと昔前、新聞は日本中の家庭に配達されていました。だから、日本人は新聞を読んでいると思っているのではないでしょうか?
私の理解では、日本中の家庭に新聞は届けられていた時代はありましたが、新聞を読んでいる人の数は、圧倒的に少なかった。それを、家庭に届くから、家中読んでいるモノだと錯覚している。新聞の価値や使命を認識している人は限られていのです。(今も往時も)
それを、是正しなければならない。との思いが、「新聞を読もう」です。その証拠に、未購読世帯が増えても、新聞の持つ社会的影響力は一向に衰えません。そうです。発行部数が減っても、もともと読んでない人が購読料を払わなくなっただけです。
岩手日報は夕刊のコストを削減して、朝刊に力を入れると述べますが。私は二つの点で疑問です。まず。購読料金です。朝夕セットで、月極め3007円が朝刊だけになって2980円とは不思議な料金体系です。夕刊の価格が一か月27円の勘定です。
割高感がいなめません。果たしてこの料金を読者が納得するでしょうか?購読拒否を誘発するのではないでしょうか。そうです。経営が悪化して、大変ですから・・・朝刊をのコンテンツを充実させますから・・・夕刊の廃止でもこの料金を理解下さいと、素直に言うべきではないでしょうか。
それに、発行部数です。資料が実に曖昧です。あるデータでは23万部。別のでは21万2千部。2万部違います。経営が悪化して夕刊を廃止するのが本音でしょうが・・・やはり、ウソはいけません。正義を論じる新聞社が自らウソを付いては、読者は新聞を認めなくなるのは当然です。
私は社会に欠くべからざるモノの一つが新聞だと信じています。新聞を読まない人は、一人前の大人だと思っていません。新聞は社会生活を営む上で、不可欠な役割を担ってます。
新聞社の経営危機は、ビジネスチャンスでもあります。新たなビジネスモデルを構築できるチャンスです。新しい時代の新聞の役割と使命とは何か。根源に立ち返り、もっと真剣に、もっと謙虚であれと願います。
夕刊を廃刊する岩手日報。朝刊の新紙面に期待します。 Goto
コメント
コメントありがとうございます。
団塊世代の活用は、団塊世代の側の積極性に掛っています。指示待ちでは如何ともしがたいと思っています。この街は、俺が造るんだ…ぐらいの気概が欲しいモノです。 Goto
色々な地域で展開されてますが、その地域で、直ぐにコンタクトが取れる人。。それわ長く住んでた人です。仕事の迅速化と効率化を考えて、団塊の世代の人を採用して、現在の社員の人の手助けになればいいと思うのですがいかがなものかなと思います。