よそ者

地域の活性化のために・・・・
皐月、この時期は、一雨毎に緑が深くなります。故郷の中心にデンと構える金華山も新緑が映え、眩いばかりです。田園に水が張られ、田植えも終わり、まさに、一年で一番、きれいで躍動的な季節です。
それに引き換え、街に元気がないことったらありゃしませんね。この地方だけなのかもしれませんが・・・どこもシャッター通り。まるで、木枯らしに身を屈めているような状態です。
それではいけません。何せ不健康です。お店はシャッターを上げて、空気を入れ替えましょう。民家は、窓を思いっきり開けて、薫風を家中に呼び込みましょう。美味しい空気を胸一杯に吸い込めば、おのずから、元気が湧いてきます。
なぜ、こんなことを言うのかと申すますと、最近、心ある人たちが、我が愛する故郷のあちらこちらで、街おこしをやろう、街を元気にしようと声を上げてくれています。そんな声にエールを送りたいと思うからです。
もともと、日本の地方(地域と言っても良いのですが)は、どこも封建的で、新しい試みには懐疑的です。岐阜もご多分にもれず、誰かが、何かをやろうとすると、まず、できない事例を並べ、批判から入ります。
大概は、そんな批判にめげてしまうんです。が、私の経験では、めげないタイプがあります。それは、若者、変わり者,そしてよそ者です。最近は、どこも同じ傾向なのか分かりませんが・・・変わり者はめっきり少なくなりましたが・・・
歯に衣着せず、言いたいことを言う、やりたいことをやる。そんな、変わり者は本当にいなくなりました。情報が平準化して、人の考え方や、行動に差異がなくなったからなんでしょうか・・・。それとも、物事を真摯に探求する人がいなくなったからなんでしょうか。故郷を愛さなくなったからなんでしょうか。変人奇人がいないと活力が出ませんね。
元気のよい若者はどこにもいます。岐阜でも頑張ってくれていますが・・・どうも、街おこしとなると長続きしないようです。理由は、テーマの選定にオリジナリティーがないからだと思うのですが。
で、街おこしをやろうとする人で一番、頼りになるのは、ある程度、社会で経験を積んだよそ者です。よそ者とは、村社会的な言い回しですが、何かの事情で、この地に移って来た人のことです。
よそ者は地域の事情が良く分からないので、他地域での経験を大胆に注入してくれます。そんな、奇特な人に街の元気を頼らなければならないのは残念ですが・・・・。
しかし、街おこしとは、奇特な人の情熱です。勿論、我社の「地域みっちゃく生活情報誌」も、「地域社会を活性化したい」との熱い情熱に裏付けされています。よそ者ではありませんが。変わり者の部類かもしれません。
皐月。若葉が萌え、草花、樹木が息を吹き返し、大自然は温かく私たちを抱き寄せてくれます。よそ者に頼っても良い。若者を信じても良い。変わり者のアイディアに夢を託しても良い・・・。
愛する故郷が躍動感あふれる元気な街になれば・・・・・ と願いつつ。                                                                       Goto

コメント

  1. ニッコリさん より:

    いつもお世話になっております。
    あちらこちらから素晴らしいアイディアが次々に生まれ、地域に活気が満ちあふれ景気が良くなることを毎日、『南無妙法蓮華経』のイメージトレーニングでお祈りしています。イメージトレーニングはどうやら人間の潜在能力を発揮するには素晴らしい方法のようです。