批判のための批判は・・読むモノを虚しくします。
今年の芥川賞・・・何となく読みごたえがありそうですね。このところ・・・理解できない(歳のせいだとおもうのですが)作品が選ばれていますから・・・京都在住の女流作家がユダヤ人のアイデンティティーを丁寧に書いたと聞くと九月号の文藝春秋がとても楽しみです。
それにしても・・・八月号の文藝春秋の「小沢一郎の逆襲はあるか・・・墓場まで持ってゆく秘密」とタイトルが付いた後藤謙次さん司会で野中広務さんと立花隆さんの対談はちょっと酷過ぎますね。
勿論・・・この対談は参院選の結果が出る前に行われたモノですから・・・その分は引き算するとしても、人のイメージっていうモノはこうやって・・言論で生きている人達による仄聞によって作り上げられて行くものだと改めて認識しました。
野中氏「私は小沢一郎と言う政治家を悪魔だと思っている」と非人道的人間だと。立花氏「官僚に対する独特の反発感情は一体どこから起因するのか。僕は司法試験に落っこちたという彼のトラウマに起因すると思う」と失敗を許さない。
後藤氏「理詰めの部分と感情の部分が途中で曖昧になってしまうところが小沢さんらしい。なぜか福田さんの誘いに乗った大連立構想でも党内の反発を食らって中途半端に引いてしまった」と優柔不断を指摘。
野中氏「彼の心臓病はウソ。たびたぶロンドンに治療に行くのは個室カジノに行くのだ。湾岸戦争の拠出金130億ドル・・・アメリカで明らかになっているのは100億ドルだけ」と見ていたようなことを言う。いくらなんでも・・・30万ドルもの税金をねこばばできる筈はない。
立花氏「小沢は新政党や自由党を作っては壊し、解党直前にそれらの党の金庫に残っていた政治資金を自らの関連政治団体に移して行きました」・・・とまるで泥棒呼ばわり。
てな具合で・・・政治とカネの問題は元より・・・人格までもを、これでもか・・これでもかと切りつけています。ではなぜ・・・そんなおぞましい男が政治の世界で力を保ち続けているのでしょうか?政治家は公人です。何よ言われようが、書かれようが仕方がないのですが、それにしても・・・執拗で陰険な誹謗中傷です。
小沢一郎なるモノに政治的な力がある証拠なのかもしれませんが・・・彼の最近の言動を見るに付け、菅首相に大人しくしていると言われておとなしくしているようですし。総理大臣になるために代表選に出る意志はなさそうですし、物言いは、はぶっきらぼうですが、他人に媚びる積りもなさそうですし・・・批判するモノ(権力志向の臆病者)によって過剰に作り上げられた虚構にすぎないのではないかと思うようになりました。
愛読する文藝春秋には・・・批判のための批判は掲載しないようにして欲しいモノです。8月号は特別企画の「予言50」も含めて駄作中の駄作号です。9月号の芥川賞作品が待ち遠しい。 Goto
文藝春秋 5.6.7.8号
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