無駄があってこそ・・人の世ではないでしょうか。
もう・・・ひと昔前になりますか、岐阜県で花いっぱい運動が繰り広げられ・・・県道を花で埋めたことがあります。その際に・・花は生き物、枯れた後始末まで考えるべきで、何が「花の都・岐阜」だ。などと冷めた目で見ていたものです。
しかし、よく考えてみますと、人はなぜ・・・人生の折々に花を飾るのでしょうか。結婚式に欠かせないのが花嫁が手にするブーケ。二人の門出を祝う際には・・・花のシャワーで送り出す。
お祝い事には必ず花束が贈呈される。演説会や講演会では、演壇に花を活け、聴衆を和ませる。侘び、寂びの世界、質素倹約を美とする茶の湯の世界でも一輪の花を添えて、客をもてなします。
死者を送る際には花を手向け、盆には墓に花を生け・・死者を祀ります。人は、冠婚葬祭のみならず・・節々に花を飾ります。咲いて枯れ、枯れて朽ちる花の儚さは・・・・人の世の儚さにに通じるからなのでしょう。(そう思いが至るのは・・・歳のせいでしょうか)
岐阜の夏の風物詩は・・・長良川の鵜飼と花火です。
昨今の経済状況・・花火大会のコストもばかになりません。主催者としては・・・存続も難しい状況にあるようです。とりわけ・・・打ち上げ現場の近隣住民の苦情が・・・主催者の意欲を削いでいるようです。
昨今の個人主義なのか。プライバシー保護なのか・・よく分かりませんが。年に一度の市民の楽しみ。目くじら立てて・・・花火のムダを主張し、補償を求めるような愚はやめてもらいたいと思います。
人の世に・・・花は無駄なんでしょうか?一輪の花を手向けることは無駄なのでしょうか?
花火と草花の花と同じにする積りはありませんが、パッとさいて轟音が金華山にこだまし・・スーと消え・・・長良川に残影が残る・・・・・故郷岐阜の花火大会。
確かに無駄かもしれません。でも、でも、花のない街なんて・・・・ Goto
コメント
花は散るから良い。花は枯れるから良い。パッと咲いてパッと散る花が良いです。枯れても醜く社会にしがみつく老害花には辟易ですが。
Goto
いつもお世話になっております。
日本の伝統行事はたくさんありまして、私も地元の数々の行事に参加させていただいておりますが、行事では多くの人と触れ合うことができますので、対話拡大と対話による理解を深めるには良い環境になります。行事で地元に元気が出ましてその活気で景気が良くなることをひたすらお祈りいたします!苦情は対話で解決できますように!
本日、郡上では『郡上長良川夢花火』が開催されます。市民花火です。企画・運営・営業(集金)まで(笑)。それから明朝の片付け・清掃も住民のボランティアで・・・。
花は自主・自立の象徴でしょうか?岐阜の川上には小さな花が咲いています。