最後の忠臣蔵

人生そんなに・・幾つも・・・次のステージがある分けではない・・・
日本人って、一体何時から・・こんなに「生」に執着するようになったのでしょうか?老人介護、高齢者医療、健康増進、禁酒禁煙等など・・・・いのちが一日でもながら得るなら・・・異常なまで貪欲に固執する昨今の風潮・・・これで良いのかと、疑問を感じています。
年末年始に封切られる映画で、なかなか評価の高い「最後の忠臣蔵」を観てきました。
丁寧に丁寧に作られた時代劇、蝋燭の灯り。茅葺の一軒家。清貧な武士の暮らしぶりが細心の注意を払って描かれています。物語の悲哀が映像に滲む作品でした。
日米同時公開だそうですが、日本の江戸時代の佇まいはアメリカ人にも理解されるでしょうが・・・・「人のために命を捨てることをいとわぬ、武士の倫理観」が、米国で通用するのか?
忠臣蔵そのものなら、主君がいじめに会うのですから、部下が仇を討つのは理解できるでしょうが、ハッピーエンドが好きなアメリカ人に・・前提条件を抜きに、この倫理観は通用しないのではと思いました。
私の観賞観です。日本人の価値観が、変わらないものと明らかに変わってしまったものとが混在している時代になったことに気付かされました。例え主君の子であろうが、手塩に掛け育てた娘を嫁がす男親の心境は涙なしでは・・・観られませんでした。
しかし、「武士道とは死ぬことと見つけたり」と申しますが、主君の命に従い、その目的を果たしたならば、死を選ぶ、死生観。私は古い人間なのかもしれませんが・・・この美学を良とします。今の時代に求めることは不可能でしょうが・・・・。
しかし、現代人は、次のステージがあって良いと考えるのではないでしょうか。それが昨今の「生」に対する異常なまでの執着心に繋がっているのではと思えてなりません。
年末なのかもしれませんが。花は散るから花。忠臣蔵は登場人物が死ぬから忠臣蔵。人も死ぬから人なのです。死生観を忘れ、「生」にしがみつく、高齢者の一人にはなりたくない・・と思った映画でした。                         Goto

コメント

  1. Goto より:

    同感です。
    休みが多過ぎますね。
    働かざる者食うべからず。
    異常なほどに増大する働かない高齢者を・・・・本当に養っていけるのでしょうか??不安です。
    働く世代・・年間3分の1が休みです。
    収益が上がるシステムや権利を持つ企業は別として、普通の企業で・・・こんなに休んでは、競争力は保てません。だとすると、折角の休み・・・ぼっ?と過ごすのではなく、己を磨くために活かして欲しいものです。    Goto

  2. レモンハート より:

    「人のために命を捨てる」昨今の民主主義が日本人の美徳を失わせたのではないかと思えてなりません。民主主義=平等=個人主義=甘え。家族が幸せになるためには、会社に奉仕する。会社のために、社長のために、社会のために、日本のために働く。バブル前までの日本。バブルの後の日本・・・・。日本人を取り戻すには「一生懸命働くこと」から始めたほうがいいと思いますが?
    資源もない、円高デフレ、少子高齢化、赤字にもかかわらず膨大な社会保障費の垂れ流し、進まぬ公務員改革、そして緊迫する太平洋インド洋・・・。日本人は甘えっぱなし。全てを政治のせいにする。国から必要以上に社会保障費をたかる国民。いつから、こんな「ごっつあん体質」になったのか。100年に一度の日本の危機に向かうには週休2日制、年間休日150日なんてやめてしまえばいい。仕事が欲しければ、給料が欲しければ、企業の空洞化を防ぐには日本の全企業、週休1日にすればいい(1日10時間労働以上)。まずは国家、社会のために奉仕することが日本浮上につながるはず。極論ですが世界経済に勝つには、汗を掻かかなければダメ。零細の店主、社長は実際にそうやって会社を潰さず、社員(同志)に給料を出してひもじい思いをさせず生きているのだから。

  3. 夏原健次 より:

    いつもお世話になっております。
    より良く生きるということ。
    人は皆これを追求していくものだと思っています。
    それは、人それぞれ違うでしょう。
    世の中には人の数だけ、考え方の数もあります。
    考え方は対話することで、理解でき、また新しい考え方が生まれ、人間は変革を遂げて行くと考えます。対話拡大と対話による理解と変革を続けていくと、コミュニュケーション環境に大きな変化が出てきます。「自分が変われば、世界が変わる」
    世界はもはや、「世界民主主義、変革主義」になろうとしています。
    平和な環境から次々にクリエイトが生まれ、産業が発達し、世界の景気が良くなることをお祈り致します!