起立・礼

やむにやまれぬ思想・良心の発露ですって・・・・
「教育現場でこのような紛争が繰り返される状態を一日も早く解消し、自由で闊達な教育が実施されることが、切に望まれる」君が代斉唱不起立訴訟での最高裁判断です。そうですよねぇ。
学校の規律や秩序保持などの見地から重すぎない範囲で懲戒処分をするのは、懲戒権者の「裁量権の範囲内」と述べながら、「戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択するに当たっては、慎重な考慮が必要となる」とも。何とも、奥歯に物が挟まったような判決内容。
で、教師が、学校行事で君が代を斉唱する際、起立しなければならないのか?それとも、しなくても、注意はされるが、立たなくても良いのか?どっちなの?最高裁が明確にしなければ、誰が、この問題を解決するんでしょうかねぇ。
不起立の理由は「やむにやまれぬ思想・良心の発露だ」そうです。
ずいぶん、深刻に君が代斉唱を考えているようです。やむにやまれぬ思想とはどんな思想何でしょうか?良心の発露って、どんな良心なんでしょうか?
教師は特別な人間で、思想や良心で生きている人なんでしょうが、我が社では研修会の始まりでは、起立。礼ってやりますが。私達庶民は、働いて生きています。職場の方針に従わなければ、働くことはできません。嫌ならば、辞めねばなりません。教師って、いい気なものですねぇ。
教育現場でこのようなくだらぬことで、紛争を起こすな。自分たちで、解決せよって、最高裁が呆れ顔で、申すのも、おかしいと思うのですが。それ以前に、それにしても、国旗も君が代も否定して、公務員の立場で教師が続けられるって国、平和ボケとしかいいようがありません。
因みに、私は、サッカーや大相撲で君が代斉唱の折は、テレビ桟敷でも起立するようにしてます。思想に響くことも、良心の呵責もありません。こんな、くだらないことが大騒ぎになるなんて、不思議な国ですねぇ。Goto

コメント

  1. Goto より:

    解決策は海外研修ですね。
    若い先生には、一年以上の海外研修を義務付けるのが、最も効果的な解決策です。予算措置?勿論、自費ですよ。出なければ、奨学資金ですね。そのくらいの覚悟がなくて、何故の教師か。です。Goto

  2. リミスキー より:

    ごもっともです。仰るとおりです。
    先生って生ぬるい環境で生かされているんですね。
    少数の先生に翻弄されている感じを受けます。
    立って国歌を聴いたら、その国歌を認めた!ということが、いやなんですかね?。子供じみた考えです。
    そういう先生だけで学校を作ってみたらどうなるんでしょうか?