ヤシの実ひとつ

いずれの日にか、国に帰らん
尖閣諸島を石原東京都知事が買うぞと発表。急成長する経済。肥大化する軍事費。取り分け増強される海軍。東シナ海での領海侵犯事件など覇権主義を強める中国への警戒感が深まる折。絶妙のタイミングで。
石原知事は東京から1740kmの沖ノ鳥島にも護岸壁をつくるなど、領土問題に不熱心な政府に警鐘を鳴らし続けています。また筋金入りの反中国姿勢は日中友好を損ねないかとの危惧もあります。しかし、日本は島国です。海によって直接的に他国と接していません。国境が良く見えない国です。
だからといって。国境に無関心であることが許されて良いはずはありません。
少々乱暴ですが、石原知事の問題提起に、国民一人一人が、国家とは。国境とは。隣国とは。改めて、考えてみる機会になればと思います。
東日本大震災から1年。米国アラスカ州のミドルトン島(こんな島があることすら知りませんでしたが)に岩手県陸前高田市の高校生の名前が記したサッカーボールが5000km経て流れ着いたとの記事を目にして。「名も知らぬ遠き島より流れ寄るヤシの実ひとつ」、歌詞が浮かびました。
「ヤシの実」は伊良湖岬の砂浜で拾われた歌。大震災悲劇に攫われたサッカーボールは拾い主が「持ち主に直接渡せれたら素晴らしい」と友情を示し。尖閣諸島は領有権を巡り、目くじらを立てる。いずれも海原を挟んで隣国なのに。これほど、違うとは。歴史なんでしょうか。
私見ですが。尖閣列島は、都知事の提案通り、東京都が所有して、環境開発すれば良い。中国も東京都相手では、向きになることもできまい。国が所有すれば、国と国のきな臭い問題に発展してしまう。但し、都民に永久に維持費負担の覚悟が入りますが。
そうそう。「ヤシの実ひとつ」作曲は大中寅二。歌詞は島崎藤村ですが、最後のフレーズ「いずれの日にか、国に帰らん」で、終わっているのが、何とも、尖閣諸島購入問題を示唆しているような気がしてなりません。Goto

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