時は平等なり

この歳になると、はめている腕時計で、人が見えるモノです。
時計の話しです。高校生の頃。腕時計が欲しかったです。時間を気にすることもなかったのですが、なぜか、欲しかったのを覚えています。写真をご覧下さい。日本のメーカー。セイコーが新発売する・・・・・・世界初。地球上には39のタイムゾーンがあるそうですが。どこにいても、ボタン一つで、その地の時間を完全捕捉する画期的な腕時計です。凄い技術革新ですね。
でも、64歳なろうとする私には、この世界に冠たる機能と技術を誇る時計に全く興味がありません。でも、これだけ、賑々しく広告するからには、世界を股に飛び回るビジネスマンには、必需品。若い人も興味が尽きないんでしょうね。
私は、今、時計を腕にはめていません。なぜかと申しますと、携帯電話を二つ持ち歩いていてそれで、間に合ってますから。携帯では一秒も狂いのない、電子時計が、時を刻んでいます。ですから。いくつも時計を持つ必要がないのが理由です。
時計が欲しかった頃は、今の若い人と同じように、半分はファッションとして腕時計をと、思っていたのかもしれませんが、自己分析しますと、どうも、そうでは無いようです。
ある時、私は気付きました。あらゆる人間に平等なものは、一つしかない。それは、時です。一日24時間は、誰にも平等です。優秀な人。能力のある人でも、時間観念や概念の乏しい人でも、時は同じです。ですから、時間に追われるのではなく時間を追うべきだと。
追うのですから、時間に捉われる必要はない。むしろ、時間を気にすることもない。誰もが平等なんですから。自分の時間は自分で作れば良い。と、そんな思いが至って。時計に興味を持つことは時を大切にすることと同義語と考えたからではなかったか。
若い人が、時計をファッションだと思って、時計に興味を持つとしたら。とても素晴らしいことですが。舶来の高級時計と日本のメーカー比べれば、日本の時計が機能のみならファッション面でも、舶来時計を凌駕していると思います。
チョッピリ。申しあげ難いことを申しますと。私の歳になりますと、見えなくても良いことが色々見えるようになります。宝石をちりばめ、金銀をふんだんに使用し、ぎんぎらぎんの腕時計を嵌めている人に、人格、識見の素晴らしい人が見当たらないのが不思議です。Goto

9/27日本経済新聞

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