日経広告賞2012

駄作でも選ばなければならない。そんな姿勢に明日はない。
2012年、第61回日経新聞広告賞、計10賞の表彰作品61点が発表された。
新聞命の私としては、一年間、日経新聞の広告に(東海版かもしれないが)付き合ったが、これはと納得できる広告には出会わなった気がする。
辛辣なモノ言いはよろしくないが。
昨今の新聞広告には幻滅を感じている。企業に余裕がないのか?投げやりで、荒んだ広告が目立つ。残念ながら、新聞広告を見て、希望が湧く。気分が明るくなる。スポンサーを評価したい。なんて、思えない。
なぜなんだろうか?スポンサーが、効果の期待できぬ広告にコストは掛けない。からなのだろうか?それとも、新聞社が数字欲しさに、紙面が傷もうが、汚れようが。「お金」さえ頂ければ、何でも掲載する。そんな貧して鈍するからなのだろうか?
広告業界にとっては由々しき問題なのだが。当事者(新聞社の広告局)達には、そんなことはお構いなし。今日さえよければ。そんな刹那が漂う。
広告賞も、選べば良いってモノではなかろう。駄作ばかりなら。
無理に優秀賞なんて、選考しなくても良いと思うのだが。情けない話である。
日経広告賞・選者の講評を紹介して、如何におざなりの選考なのかを紹介して、今日のブログとしたい。最優秀賞に対して「長く続いているブランドだから。リアリティに溢れ、面白いコピーは次の広告が見たいという気をかきたてる」からだって。
優秀賞では「シリーズで掲載。実物を見せず商品を語り。不思議な感覚を呼ぶ」だって。シリーズであることが選考理由なんて信じられない。もう一つの優秀賞には「過去の広告をもう一度使うという表現で巧みにブランドをアピールしている」からだって。制作者が何も考えていないってことじゃないの。
選考委員長の総講評「全体を通して、商品と消費者の関係を見つめ直した作品が多く、特に上位の作品ではそれが顕著だった。クリエイティブでもその関係を反映させるためにイノベーションが見られた」だって。それって、広告を作るものの当然の使命じゃないの。
手なことで。61回も続けてきたのだから。駄作からでも選ばねばってことなんでしょう。(2012年・応募作品も1000点を割っている。多分に震災の影響もあると思う)こんな選考では、アドマンもクリエーターも育たないですね。
そうそう。我社も、情報誌の紙面から、年間を通じて最も、優秀な作品を選んで見よう。Goto

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