かぶく

半身不随から立ち上がり、舞台に・・・・
歌舞伎の原点は、出雲の阿国。出雲の阿国といえば、思い出すことがある。
学生時代。九州からデザイナーを志して勉強していた学生と親しくなった。
その友の卒論のテーマが、出雲の阿国。
大キャンバスに、艶やかな阿国をイメージした姿絵。白地のバックに仮名と漢字の筆書きの文字が流れるポスター。それに、独自の解説文が付く。何日も掛けて、丁寧に書き込んで行く真摯な姿勢に付き合い、歌舞伎の源流に触れたのを思い出した。
歌舞伎は、京都四条の河原で阿国が、奇妙な身なりで、思いのままに舞ったのが始まりと。
梨園は作法や形にうるさいと言われるが、日本の伝統文化を守る上では大切だが、そもそも歌舞伎は「なんでもあり」。猿之助のスーパー歌舞伎など、まさに「かぶい」ている。
因みに、私の卒論のテーマは、政治広告。政治の主張がビジュアル化され、パンフレットやポスターに趣向が凝らされる以前のこと。参院選全国区に出馬した石原慎太郎氏が上半身裸のポスターで、かぶくポスターだと話題をさらって、政治広告が脚光を浴びたころの話だが。
歌舞伎界で、脳梗塞で倒れ、その名を聞かなくなって久しい梨園きっての「かぶいてる」女形だった澤村藤十郎(69)さんの話題が朝日新聞(10/20・朝刊)のひと欄で。
NHKの大河ドラマの影響もあるのかどうかは、わからないが・・・・
「右手足が動かず言葉も出ない。何が起きたかわからなかった」と脳梗塞で倒れた日。「でも治らぬ病はない」と絶望の淵から立ち上がり14年。広島の厳島神社「高舞台」で芝居さながらに平家物語を、平安調リズムにのってよどみなく語り再起を果たしたと・・・嬉しいニュースだ。
来春の歌舞伎座再開場には、何としても舞台に立ちたいと。並大抵の努力ではないと想像できるリハビリから復帰した藤十郎さんの「かぶく」姿が見られるとなると、そりゃ。歌舞伎座に足を運ばねばなるない。演目は、出雲の阿国だと嬉しいのだが。
その折には、かの友に声を掛けてみるか。Goto

コメント

  1. Goto より:

    何時もながらの薀蓄あるコメントありがとうございます。「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読みました。道は道でも柔道についての変遷と今が、それなりに理解できました。
    道を極めるって、その道にかぶく人が現れるのと、時間が掛かるモノですね。それにしても、今の日本には高齢化の影響でしょうか?かぶく人がいないですね。Goto

  2. ナガラ より:

    日本人は、いろんなことをとことん追求するのが好きな国民性らしいですね。
    そして一つ一つを極め、『道』として完成させます。
    花、茶、香、庭、歌舞伎、能、そして諸々の武道…。
    しかし、そんな変遷を経て昇華したはずの『道』がつまらなく見えるのは、何故でしょう。
    芸術を理解できない、私だけなのでしょうか?
    出雲の阿国もそうですが、これらの『道』の起源の多くは、戦国期を含む室町時代に集中しています。
    安定していたとは到底思えない足利政権下で、大衆のエネルギーが爆発した時代。
    河原者と呼ばれる最下層の人たちが主役となり、日本の文化の原点を作り出しました。
    そこには芸術などと云う小難しい理屈はなく、いわゆる室町時代特有のバサラ気分が働いています。
    権威、伝統の否定。自由な発想。個々の能力を使い切って生きる精神。
    そんな成り立ちから云えば、文化を固定させ権威付けをするのでなく、常に流動的で危うさをも併せ呑んで行くのが、本来の日本の伝統文化の姿ではないでしょうか。
    挑戦する澤村藤十郎さんに期待します。