新聞記者のSNS発信、その責任は誰が負うのか?
速報。ディリー・プラネット社の名物記者クラーク・ケント氏は同社がメディア複合体の傘下に吸収合併され「娯楽化路線」に転換したことに抗議。辞職すると発表。今後はハフィントン・ポストと同様のサイトを開設、記者活動は続ける模様。
ビックリですね。あのクラーク・ケントが新聞社を辞めるなんて。と、驚くんですが。若い人にはピンとこないでしょうが。我々の世代なら、悪と闘う新聞記者クラークケントは、ヒーロー。メガネを外し。マント姿でデーリー・プラネット社の窓から飛び出す姿にワクワク。
「空をみろ。あれはなんだ。スーパーマンだ。」・・・そんなドラマのシーンが目に浮かぶ。スーパーマンは1938年コミックとして登場。映画にもテレビドラマにも。今から思えば、日本のテレビで盛んに放映したのは、勧善懲悪の単純な米国ヒーローを描くことで、従属国日本支配の道具だったんでしょうね。
まぁー。そんなことはどうでも良いのですが。
クラーク・ケントが、ソーシャルメディア(SNS)のサイトを立ち上げ情報発信するのは、衰退の一途をたどる新聞メディアの生き残り策に対するアンチテーゼなんでしょう。
最近、日本の新聞社で気になることは、記事の劣化ですが。それ以上に、記者がつぶやく、ツイッターアカウントがめっぽう増えたこと。私が古い体質なんでしょうが。記者がデスクや校閲を飛ばして、記事の裏話や紙面で紹介できなかったことを勝手につぶやいて良いものだろうか?
クラーク・ケントは営利主義に走り娯楽化する新聞を否定、辞職してSNSで・・・・。
日本の新聞社は、記者がSNSを積極活用することを容認するって。その記事の責任は誰が負うのでしょうか?新聞社なんでしょうが。責任が持てるのでしょうか?
日本の新聞社はスーパーマンだから。新聞社を飛び出して書きたい記事を書く記者なんていない。記者のつぶやきも手の内なんでしょうが。不思議な傾向です。Goto
10/9朝日新聞
コメント