爪と目

この程度の選者にこの程度の作品・・・
第149回(平成25年度上半期)芥川賞受賞作品、藤野可織さんの「爪と目」を仕方なしに読んだ。
なぜ、いやいや読んだかと申しますと、義務だからです。定期購読している文藝春秋に、グリコのおまけのように・・発表毎についてくるから仕方なくです。
最近の芥川賞。不況の出版界が唯一、本に目を向けさせる話題の企画ゆえに、仕方ないといえば仕方ないのですが。カタカナばかりで遂に読むのを途中棄権した作品とか。宮本輝さんの代表作「泥の川」を真似た稚拙な作品とか。無気力で破廉恥なその日暮らしの若者を描いた駄作とか、ろくなモノが受賞していない。
選者もさぞかしご苦労されておられることと思うが。今回の受賞作品も・・二人称で書いてるところは奇を衒っているのだが、内容は少女趣味の単なるホラー。とても読むに耐えられるシロモノではなかった。選者も苦しんだでしょう・・・
9人の内、明確に評価したのは島田雅彦氏のみ、それも「これは文句なく藤野可織の最高傑作である」なんて調子の良い表現だが。彼女がどんな作品を世に問うたのか知らないが全部読んでいるから、最高傑作なんて言えるのでしょうが・・・選評になってない。
小川洋子さんは「情緒を掘り下げてゆくのでもない方向にさえ物語が存在するのを証明して見せた小説」なんて、何を証明しているのかさっぱり。高樹のぶ子さんは「冒頭の一文からつまずき文学的評価は他の委員に譲るしかない」と辛辣に批評。
温厚な選評で定評の宮本輝さんも「この小説の奥に置こうとしたものの暗喩になり切っていなくて、強くは押せなかった」と首をかしげた。川上弘美さんは「この小説を読んでるあいだじゅう、周到ではなく丁寧、その丁寧さは小説というものに対する情愛からくる」と中身よりも作者の姿勢を褒めてごまかしている。
村上龍さんに至っては「この程度の二人称を多用する手法では読む側に戸惑いと負担を覚える」となぜ、選ばねばならないのかの疑問を暗に投げかけている。奥泉光さんは「困惑している」「方法の貫徹ぶりを評価し受賞を押す声に賛成した」とまったく主体性なく賛意を示したと評している。
選者が選考できない作品を受賞作にするのだから、選者にはご苦労様と申し上げるしかないのだが。出版社の意のままに選考するならば・・・この程度の選者にこの程度の作品と言われても仕方がない。ダメなものはダメと受賞を認めなかった選者・石原慎太郎さんが懐かしい。やれやれ・・・Goto

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