平等と公平についての若干の考察・・・
まあー。なんと表現したらいいのでしょうか。まず、法律って、所詮は融通の気かないものってことなんでしょうね。画一的に、機械的に罪は罪。感情移入なんて通用しないんですね。人間のみならず、生きるってことは・・そんな、人間の知恵ごときで、解決するんでしょうかねぇ?
なにを言ってるのかともうしますと。衆院選の一票の格差で、私はスペインの人権侵害に対する考え方、即ち、侵略を繰り返したヨーロッパの歴史を背景に築き上げた人間の尊厳に対する真摯な思いを高く評価しました。それに比べ、日本の最高裁が判断した違憲状態判決に日本はまだまだ人権に対する意識が未熟じゃないかと批判しました。
さらに、参院の一票の格差で、岡山地裁が下した違憲判決にも、首を傾げざるを得ません。朝日や毎日新聞は例によって違憲判決は正しい。一票の格差を是正すべきと、声高に叫んでいますが。よくよく考えますと、参院なんて、所詮は無用の長物。一院制で良いと思うのですが。
でも参院が必要ならば・・・
なにも衆院と同じように、一票の格差を論じる必要はないのではと思います。平等は人の数で決まりますが。公平は人の数とは関係ありません。公平とは自然の前に平穏であると言うことです。衆院は平等な権利を人の数で与えても不思議はありませんが。参院は公平であって良いと思います。
つまり参院は政党政治とは関係なくて、そうです。乱暴にいえば、宗教家や哲学者、あるいは歴史家や人格者達が、世俗と関係なく、人間を深く論じる場で良いのではないでしょうか。それを選ぶに、人の数を基準にすべきではない。ですから、都道府県に2名ずつ割り当てるのに何の問題もありません。
そうしなければ、議員はすべて都会に割り振られてしまいます。地方には議員がいなくなり、切り捨てられることになります。参院の議員割り当ては平等でなくて公平で良いと思います。
司法にそんな判断を求めるつもりはありませんが。司法が衆参同じ視点で捉える発想しかできないことが、日本の法治国家としての未熟さではないでしょうか。先の参院選違法判決に、残念ですが、国会以上に、司法の見識のなさを嘆きます。Goto
コメント
こんばんは。
仰る通りです。
世の中の事柄って、法律みたいに極論でできてることなんて何ひとつないと思います。過度の平等を唱えれば、唱えるほど、地方と都市の新たな問題を生み出すだけだと思います。
平和についてもです。今回の秘密保護法は、メディアがとった行動は極論でした。暴論といってもいいです。国民をおどかすことばかり。政治家は国民の命を預かっています。当然、平和のためにこそ、秩序(法律)が必要だと思っている人がほとんどだと思いたいです。
メディアの仕事は、自分の思想を謳い革命をおこすことではなく、その秩序(法律)が、国民ひとりひとりに、過度の侵害や、国の隠蔽の助長にあたらないようにがんばってもらうことだと思います。