新聞の価値

社説と合致しているか違うのかで自分の意見や主張を整理している。
1/1の新年初刊号と1/3の次刊号。新聞各紙を読み比べ、今年ほど落ち着いた紙面もなかった気がする。首相が長期休暇を取れるのだから、政治がそうさせているのだろう。それに国際的にも、経済的にも大きなニュースも争点になる話題もない穏やかな幕開けだった。
新聞って。明るい話題や、嬉しいこと、喜ばしいことは記事にならないと思っているのではないだろうか。善行、僥倖の類は記事に能わず・・・悪行や暗く陰湿なテーマでなければ読者が興味を示さないとばかりに、大した問題でもないことを針小棒大に書き立てる。争点がなければ無理にでも争点を作りだそうとするのが新聞と知るべきだ。
いや、新聞を批判してるのはない。新聞の宿命とはそう言うモノ。そのことを前提に社説を読んでいる。例えば、特定秘密保護法問題。法案の本質を指摘しないで、枝葉末節に拘る。米国は属国日本から、軍事情報が日常的に漏洩するのは困る。だから情報を知る立場の公務員に規制をかけるのが、この法案の本質である。
それを、メディア弾圧だとか世論軽視で国民に罰を科す法律だと捉えるのは針小棒大だと思っている。では、米国には公務員を対象にした秘密保護法はないのか。日本よりも厳罰を科す法案があるではないか。それによって、米国メディアが筆を曲げているか。国民が日常的に弾圧されているか。そんなことはない。日本よりもはるかに民主的な国家運営がなされている。
だから、誰が書いているかわからない特定秘密保護法に対する各社の社説には懐疑的である。
1/3付・中日新聞に「常に民の側に・・・一人一人が大切」と題した論説委員が論説視点を語る「論説特集」が掲載された。担当別論説委員の顔が見え、中日新聞の「スタンス」が明確に伝わり、思わず納得した。論説委員は社説を受け持つ。社説は新聞の顔。その顔が見えたのは読者にとっては、新聞の信頼性を印象付けるモノである。
と・・・同時に・・新聞の価値を改めて知るよい機会である。私は新聞の社説と自分の意見と合致しているのか違うのかで、自分の考え方や主張を整理している。だから新聞命なのである。Goto

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