言論の自由

記者襲撃事件の社説を読んで・・誰もが尊厳を保ち伸びやかに生きられる社会を・・・・
自分たちと違う価値観持つ人たちが認めあう社会こそ、民主主義社会である。民主主義社会を守るには、言論の自由を貫く必要がある。昨今・・自分たちと違う価値観の人たちの存在そのものを否定し攻撃する動きが勢いを増している・・・
その象徴は、ヘイトスピーチ(増悪表現)を繰り返す人たち。他人を排除し、傷つける言葉は許されるのか。表現・言論の自由の大切さを説き続けた朝日としては、ヘイトスピーチを繰り返す団体が訴えられた京都裁判で「表現の自由の範囲内だ」との主張に正当性があるとは思えないと主張する。
理不尽に攻撃される人たちを守る立場で、攻撃的な言葉を繰り返す人、そうした主張の喝采を送る人々の背景にも目を向け、日本社会に広がる「反・民主主義社会」の溝を埋めていきたい。朝日は戦争に協力した戦前への痛切な反省から権力が自由を制約する動きには全力で立ち向かってきたつもりである。
27年前。兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が散弾銃持った男に襲撃され、記者が殺された。犯人は「反日朝日50年前にかえれ」と犯行声明で主張した。以降、スローガンとしての「表現・言論の自由」を求めてきたのではない。誰もが尊厳を保ち、伸びやかに生きられる社会を目指してきた。
5/3は同僚の命が絶たれた日。その原点改めて胸に刻みたい。(5/2・社説・排他に立ち向かうから)・・・表現の自由を履き違えると・・ヘイトスピーチだけではない。埼玉のサッカー場に掲げられた人種差別の幕も正当化されてしまう。
この社説、襲撃事件にかこつけ、言論・表現の自由を奪うのは右傾化であると決めつけるのは、如何にも朝日的で、いささか力が入りすぎているが。しかし、既得権益団体が跋扈し、これ以上景気回復が遅れると、閉塞感に苛まれ、鬱積した国民がエスカレートして更なる「反・民主主義」的行動に出るのを否定することはできない。朝日の役割と使命は重い。
願わくば、朝日には誰もが尊厳を保つためには・・・反民主主義的勢力を否定するだけではなく・その背景に・・・景気が影響していることを胸に刻んでもらいたい。経済が如何に重要かを認識して欲しいモノである。Goto

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