雨傘運動

自分に不利益なことは最優先して避けるなんて・・・・
私には懐古趣味もなければ、過去を振り返る非現実的な気持ちも持ち合わせていません。私が大切に思うことは、今日を限りに精一杯どう生きるか。生きたことで明日の社会の繁栄や幸せにどう繋がるのかと思うだけです。
こんな考え方をするのは、学生時代の過ごし方にあったのではと思っています。1960年代の話ですが、学生自治会の主な運動テーマは「授業料値上げ反対」でした。授業料反対とは来年入学する後輩の授業料の値上げに反対することです。自分達の授業料の値上げではありません。
なぜ授業料が値上げされるのか。「社会構造で働くモノを搾取して自分達だけ良くなろうとあうる資本の論理が学生の授業料もあげるのだ」それは許されない。「自分達が不利益を被っても、社会を良い方向に変えるために行動」しなければならないとの理屈(今に思えば独りよがりですが)
自分達が行動すれば「社会構造や、秩序を変えられるかもしれない」そんな、青臭いですが、熱い思いが過激な行動に走らせました。国家の構造とか体制はどんな仕組みで成り立ち、それを改革するには、並大抵なことではできないと今では理解できるようになりましたが・・・
しかし、だからと言って、懐古趣味に走り、過去を楽しんで、改革する気持ちを抑えたりはできません。ましてや、世界では、「黙々と民主化を求める学生たちが、暴力的な雰囲気もなく雨傘を差しながら巨大な権力に抗議する」そして無力ゆえ、排除され敗北する姿を見ていますと、涙が溢れてきます。
日本の若者はなどと、年寄り臭いことは申すまい。しかし、若者が「自分の不利益には最優先して避け、細やかな安寧に満足し」「権威に疑問を持ち、社会を変えるエネルギーを失う」ようだったら、この国に未来があるとはとても思えません。たとえ老害と言われようとも、明日のこの国の繁栄のため、私は今日を限りに頑張りたいと思います。Goto

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