虚心坦懐に真実と愚直に向き合って欲しい・・・
143年間の歴史を刻むとは大変なことです。まず持って、紆余曲折を乗り越え、日本の新聞社で初めて創刊5万号を数えた毎日新聞に敬意を表します。おめでとうございます。今後も自由と多様性を重んじ、質の高い情報を提供し、日本社会を健全に導いて頂きたいと願います。
新聞とは何か。新聞の役割と使命とは如何なるモノなのか。新聞命(しんぶんいのち)の私としては、その問いに答えを見つけるのが、今やライフワークです。昨年の朝日新聞誤報記事事件は、新聞が追い求める「真実」には多様性があることを儚くも露呈させました。
5万号にあたり、毎日新聞主筆は、前身である東京日日新聞の2代目主筆を務めた福地桜痴を取り上げ、「桜痴の原稿を読み返すに、読者の代わりに現場に立ち、事実を見つめ、信頼するに足る情報を発信しようという強固な意志を学ぶ」・・と現場主義の重要性を説く。
確かに、積み重ねた5万号は、桜痴以降、1万人以上の記者が現場に立ち事実と誠実に対峙し報じた姿勢によるものであろう。しかし、先の大戦で大本営発表に寄りかかり、国民を戦争へと駆り立てた責任を拭い去ることはできない。
戦争の責任を感じて自決した将軍、提督があり、代議士を辞任した政治家もいた。言論人(新聞記者)も責任を負うべき立場にあったはずである。しかし、責任を取った話は聞かない。なぜ、そうなったのか。言論人は大衆を扇動したことを、大衆の意志であったと真実をすり替え、自己を正当化したからではなかったか。
朝日の誤報問題が、まさにその端的な例で、言論人の思い込みを真実にすり替えた結果である。5万号を数えた毎日新聞。新聞は読者から離れては存在し得ない。時代とともに情報発信手段は多様化し、読者が新聞に求める使命も変化しているが・・・行く手には、新聞界全体に覆う読者の減少という茨の道が続く。
毎日新聞が新聞社として初めて5万号の歴史を刻んだ事実がこの国の今日の姿である。例え経営環境が厳しくなろうとも、いや、なればなるほどに、言論人として虚心坦懐に「真実を思い込みでする変えることなく」また、記者クラブ制度に擦り寄ることなく」真実と愚直に向き合い、威風堂々、その歴史を刻み続けることを心から望む。Goto
2/11毎日新聞
2/12毎日新聞
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