音痴と運転

とりとめのない私的な調査ですが・・・なんとなくそ思いませんか?
私は音痴です。天性の音痴です。ですから、車の運転が苦手です。えっ・・・音痴と運転は関係ないですって。いや、それは違います。子供を車に乗せると、直ぐに寝てしまいませんか。大人でも長距離、車に揺られますと眠くなります。(運転手は困りますが)
なぜか。適度な揺れが、睡魔を呼び寄せるのですが、エンジン音の一定のリズムが睡魔を呼ぶのです。リズム感の良い人は運転も上手いです。ハンドルさばきは、リズムです。道幅が狭ければ狭いように感覚が働き。広ければ並走車と歩調を合わせることができます。
私は、どう言う訳か、車に乗っても眠くなりません。バックで車庫入れができません。いつも枠からはみ出し、斜めに止めてしまいます。運転の上手い人は概して、車中で本を読むと気持ちが悪くなると良く言います。私は平気で、読むことも、一向に苦になりません。
車中で本が読めない人の大半は、カラオケを唄わすと、妙に、玄人肌で、唄が上手い人が多いです。車好きの人は音楽が好きで、車に興味のない人は、音痴が多いです。いずれも、音痴で運転が下手な私が、なぜ、そうなるのかを私なりに調査した結果です。ですから、音痴と運転下手は連動しています。
作詞家のなかにし礼さんが、こんな面白い分析をしています。「歌は世につれ世は歌につれ」と言うが、昨今は、マーケティングとやらのブームで、「歌が世にへつらい、世が歌になびくから、世がつれない」、歌が個体として確立していないと、世にのみこまれ、時代のなかに溶けてしまう。
だから、100のマーケティングがあっても、一人の美空ひばりも生み出せない。かつてはレコード会社も作家も独立性が高く、それぞれの創造力を競っていた。しかし、音楽業界が複雑化し、それに連れて個性がどんどん摩耗化して、出来あがった作品は平凡になる。その無限の繰り返しが、歌謡曲の衰退につながっていると。
音楽に疎い私ですが。昨今、歌謡曲に元気がない理由を、マーケティングのせいで、没個性化、平準化にあるとの分析は慧眼に値します。そのことと、音痴は車の運転が下手であるのとは全く関係はないのですが・・・・何処かに、音楽と車の運転には関連性があると思えるのですが。やはり、私の身勝手な、判断でしょうか。それにしても、私は音痴です。Goto

コメント

  1. Goto より:

    さすがに音楽通のコメント。納得です。大晦日の紅白。美輪明宏さんの歌が心に沁みるのは、苦い歌、辛い歌だからですね。大勢で踊って歌うのが流行りです。あれを歌とは思い難いんですが。彼女たちの将来を思うと、その極限までの頑張りが人生に潤いを与えるのだと自覚できる日がくればと願います。Goto

  2. レモンハート より:

    こんばんは。
    >マーケティングのせいで、没個性化、平準化にあるとの分析は慧眼に値します。
    その通りですね。最近は、人にやさしいはげましの歌詞ばかりです。カラオケで歌いやすい音域もそうですね。苦い歌、辛い歌、水たまりの向こうの明日さえみえない絶望の歌、実はそんな歌だからこそ、心を温めてくれる場合もあるのに。なんだかさびしいです。飲食店も同じ。うちの店も含め、知らないうちに没個性化、平準化という病に侵されていました。じょうだんじゃないぞ、個性までは平準化してたまるか!と修正中です。