新聞は人間の営みを写す万華鏡、知らない世界が飛び出す玉手箱です。
私は最近8紙(読売・朝日・毎日・中日・岐阜・日経・中経そして石巻日日新聞)の新聞に目を通します。(以前は4紙でしたが)習慣とは恐ろしいもので、新聞を捲るのが日常生活の一部と化しています。休刊日は、顔を洗い歯を磨くのを忘れたような、憂鬱な気分になります。
先日、2/15・毎日新聞が創刊5万号を迎えた折、その祝意をブログで表しましたが。なぜ、私が新聞に固執し新聞命(しんぶんいのち)と思っているのかを少々。ネット社会です。「新聞を読む習慣はない。ネットで充分、そんな人たちが増える時代なのに。
毎日新聞で私が好きなコラム・・・「論」のコーナー。火論で、こんなことを言っています。新聞を読まない若者に「ああもったいない、新聞は日々の世の人間の営みを写し取った万華鏡、興味尽きない玉手箱です」と、そうなんです。新聞は社会を写す鏡で、捲れば、世界中の人間が織り成す綾が溢れているのです。
人間好きの私は、日々万華鏡を覗き、玉手箱をひっくり返し人生を楽しんでいるのです。日本の新聞は、大概の学生が、受験項目から排除されているが故、学ばなかった日本近現代史そのものです。毎日新聞創刊5万号は、まさに明治初期から、今日までの日本史そのものです。
先日、私が産まれた1948年・昭和23年・12月10日の毎日新聞を頂きました。66年以上前のその日に何が起こり、歴史にどんな影響を与えたのか。66年間を振り返ってみれば、なるほどと思うことが分かります。
新聞は、その時、その日の政治経済、教育・文化・社会のみならず、人々が息衝く市井の生活まで、こと細かに知ることができます。まさに歴史の教科書です。今日の新聞に目を通すことは、100年先から見れば、私が生きていた証でもあります。
今日の新聞に目を通さない人は、歴史に関わらない人生を生きていることになります。日々、地域の事情から、戦争の危機を報じる記事や論調まで包含して、多様さを便利に一覧できるかたちでそっくり残せるのは、新聞しかありません。「新聞を読もうよ」・・などと口はばったいことは申すまい。
私は新聞を何紙も捲る習慣のお陰で、日々人間の不思議を写す万華鏡、日々知らない世界が溢れでる玉手箱を開き・・・人生の豊かさを楽しんでいます。ありがとう。新聞・・・・Goto
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