自分の椅子

春のこない冬はない・・・・
弥生3月です。我が社は岐阜市の東部、国盗りの山・・岐阜城が聳える金華山の南山麓に位置します。その一帯には梅の林が点在し、中心部には様々な梅の花が咲き誇る岐阜市の名所の一つ「梅林公園」があります。
この地方もこの冬はひときわ、厳しく、積もりこそしませんでしたが、毎週計ったように、土日に雪が降りました。しかし、季節の巡りは嘘を尽きません。三寒四温、2月の第3週頃から、ひと雨ごとに、山が霞み春の気配を感じるようになりました。
寒さの苦手な私としては、寒さに先駆けて咲いた白梅を眺めながら、春の訪れが近いと喜んでいるところです。冬といえば、日経の一面コラム「春秋」に、こんな話が掲載されましたので、紹介します。
谷川俊太郎さんの詩「冬」に「人は褒め称えるために生まれてきたのだ。ののしるために生まれてきたのではない。否定するために生まれてきたのではない。肯定するために生まれてきたのだ」そんな一節があります。深々と降る雪に覆われ、寒風吹き荒ぶ厳寒の中で・・・
人は意識が自ずと自分の内側に向う。何のために人は生きているのか。己のなす善とは何か。自分の居場所はどこにあるのだろう。そんな問い掛けを我が内に繰り返す。そうこうするうち冬は過ぎていく。・・北海道旭川周辺の5つの町で・・子供が生まれると名産の家具から子供用の木製椅子が「君の椅子」として自治体から贈られる制度がある。
・・・地域に祝福されて生まれた君に「この一脚の椅子は君の居場所」「他者への愛と自信に満ちた大人に育って欲しい」そんな願いが込められているという。「人は死ぬために生まれてきたのではない」「生きるために生まれてきたのだ」谷川さんの「冬」は続く。
春のこない冬はない。激寒に耐えたものが、春を迎えることができる。弥生・3月、近在に咲く、一輪の梅の花を手に、自室の「椅子」に座って、じっと足元を見る。Goto

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