雑誌とは、時代の景色だ。

時代の流れに翻弄されないぞとの気概に敬意を表したい。
私の持論です。「広告は社会の写し絵」である。1970年代・・・高度成長期に入った日本、社会を写す広告は「モーレツからビューティーフル」でした。企業戦士の生き方に疑問を投げかけたメッセージとして社会に衝撃を与えました。
この広告をみて広告業界を志し、創造的な仕事がしたいと、飛び込む若者が増えたといわれます。80年代の社会を席巻した広告が「DISCOVER JAPAN」山口百恵さんの「幸せは日本の何処かにある・・・」そんな歌詞が日本人の心を揺さぶりました。
これらの広告を手掛けた故藤岡和賀夫氏は「今の日本は、社会の上に閉塞感という厚い雲が重く垂れ込めている」その払拭は政治家の仕事だが「それ以上に私は広告という大変な武器を操りこなせるはずの広告人が何もできない。何もしない、一向に動こうとしないのが不審である」(日経・斜光線から)
とアドマンを叱責しています。アドマンは「あなたはさよなら、大衆」で大衆消費の終わりを予言したではないか。現代人は企業やメディアの「上から目線」で導かれるのを極端に嫌う。広告を伝える手段も放送から通信へ移った。スマホなど消費者同士の短文のやりとりが広告的話題をつくる」・・テクニックを競う時代で大胆に発信するのはなかなか難しいと反論する。
私はそうは思わない。「何を弱気になっている」と藤岡氏の叱責を正面から受け止めたい。広告は社会の写し絵」、手段や方法が多様になろうが、広告人が逃げてどうするか。恐れずチャレンジすべきであろう。いや、広告業界だけではない。昨今の市場低下に悩む出版界も同様ではなかろうか。
10/5・読売と朝日に「雑誌とは、時代の景色だと思う」と70周年の覚悟を見開き広告に込めた光文社(写真参照)・・・時代の流れに翻弄されなぞ、との気概に敬意を表したい。雑誌は楽しいですよ。Goto
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10/5朝日新聞

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